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戦国時代検定 グループ分け

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  1. 2014/05/03(土) 12:55:44|
  2. 戦国時代検定
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戦国時代検定 一問多答

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次のうち、豊臣秀吉に仕えた軍師を全て選びなさい
○黒田官兵衛、竹中半兵衛、蜂須賀正勝
×山中勘助

次のうち、戦国時代の大名・今川義元が最盛期に支配していた国を全て選びなさい
○駿河国、遠江国、三河国、のみ

次のうち、九州を支配した戦国大名を全て選びなさい
○大友宗麟、龍造寺隆信
×尼子義久(出雲)、長宗我部元親(土佐)、三好長慶(徳島県三好市)

次のうち、九州の戦国大名・大友宗麟に仕えた武将を全て選びなさい
○立花道雪、角隈石宗(つのくませきそう)
×松田憲秀(のりひで後北条氏)、片倉小十郎(伊達氏)

次のうち、織田信長が戦った戦国時代の合戦を全て選びなさい
○桶狭間の戦い(1560)、姉川の戦い(1570)、長篠の戦い(1575)
×山崎の戦い(1582)、賤ヶ岳の戦い(1583)

次の事件のうち豊臣秀吉の朝鮮出兵の呼び名を全て選びなさい
○文禄の役(1592)、慶長の役(1598)、のみ
×文永の役(1274)、弘安の役(1281)

次のうち、戦国時代に各地の戦国大名が定めた「分国法」にあたるものを全て選びなさい
○今川仮名目録、甲州法度之次第、塵芥集(伊達氏)
×今鏡、禁中並公家諸法度、往生要集(源信,恵心僧都)

次のうち、戦国武将・毛利元就の「三本の矢の教え」の逸話に登場する息子の名前を全て選びなさい
○隆元、元春、隆景、のみ (毛利隆元・吉川元春・小早川隆景)
×輝元、隆弘、元秋、元清

次のうち、毛利元就が「毛利両川」と呼ばれる体制を作るべく我が子を送り込んだ家を全て選びなさい(毛利両川,もうりりょうせん)
○吉川氏、小早川氏、のみ
×芥川氏、小石川氏、中川氏
(吉川氏には次男の吉川元春(毛利元春)、小早川氏には三男の小早川隆景を養子として送り込んだ)(小早川氏=安芸国(広島県))

次のうち、僧侶から還俗した戦国武将を全て選びなさい
○龍造寺隆信、斎藤道三、今川義元
×島津義久

次のうち、合戦で戦死したとされる戦国武将を全て選びなさい
○今川義元、斎藤道三
×北条早雲、武田信玄、上杉謙信、豊臣秀吉、加藤清正(病死)


次のうち、小田原城を居城とした「後北条氏」の大名を全て選びなさい
○北条早雲(1)、北条氏綱(2)、北条氏康(3)、北条綱成(4つなしげ)、北条氏政(5)、北条氏直(6)、のみ (早雲と氏)
×北条義時(第2代執権)、北条守時(鎌倉幕府第16代執権最後)

次のうち、織田信長の寵愛を受けた戦国武将・森蘭丸の兄弟を全て選びなさい[森蘭丸=森成利(もりなりとし)]
○森可隆(よしたか)、森長可(ながよし)、、森坊丸(ぼうまる)、森力丸(りきまる)、森忠政(ただまさ)、のみ
×森可成(よしなり父)、森桜丸、森菊丸、森花丸、森歌丸

次のうち、豊臣秀吉が京都に建てた「聚楽第」の遺構とされるものを全て選びなさい
○西本願寺飛雲閣、大徳寺唐門、妙覚寺大門、妙心寺播桃院玄関
×西芳寺湖南亭、南禅寺三門、東福寺塔頭、清水寺本堂

次のうち、戦国時代の合戦で使用された「武田家八陣」と呼ばれる陣形にあるものをすべて選びなさい
○長蛇(I)、衡軛(II)、雁行(/)、鋒矢(↑)、魚鱗(魚)、鶴翼(∨)、偃月(Λ)、方円(○)、のみ
×顕錬、双眼、鳥股、車掛

次のうち、足利義昭の命により信長包囲網を結成した武将を全て選びなさい
○浅井長政(近江)、朝倉義景(越前)、(武田信玄、六角義賢(近江)、三好氏(阿波,讃岐,淡路))
×徳川家康、伊達政宗、長宗我部元親、毛利元就

次のうち、豊臣秀吉の側室を全て選びなさい(大意)(正室は高台院(ねね))
○淀殿(父:浅井長政,母:お市)、松の丸殿(京極竜子)(父:京極高吉)、三の丸殿(父:織田信長)、南殿、円融院(側室か定かでない)
×愛姫(伊達政宗の正室)、原田直子(織田信長の側室)、五郎八姫(いろはひめ,伊達政宗の長女)、徳子(江のこと?)

次の司馬遼太郎の小説のうち戦国時代を舞台にした作品を全て選びなさい
○『箱根の坂』(北条早雲)、『播磨灘物語』(黒田官兵衛)、『国盗り物語』(斎藤道三)、『覇王の家』(徳川家康)、『梟の城』(秀吉暗殺を依頼された伊賀忍者・葛籠重蔵(つづらじゅうぞう))
×『燃えよ剣』(土方歳三)、『坂の上の雲』(秋山真之)、『世に棲む日日』(吉田松陰,高杉晋作)、『翔ぶが如く』(西郷隆盛,大久保利通)、『菜の花の沖』(江戸時代の廻船業者・高田屋嘉兵衛)

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次のうち、豊臣秀吉が設置した「五奉行」に含まれる戦国武将を全て選びなさい
○浅野長政(司法)、石田三成(行政)、増田長盛(土木)、長束正家(財政)、前田玄以(宗教)、のみ

次のうち、豊臣秀吉が設置した「五大老」に含まれる戦国武将を全て選びなさい
○徳川家康、前田利家、毛利輝元、宇喜多秀家、小早川隆景、上杉景勝、のみ

次のうち、豊臣政権で五大老と五奉行の間の調節をした「三中老」を全て選びなさい
○生駒親正(讃岐高松17万石)、中村一氏(駿河府中14万石)、堀尾吉晴(遠江浜松12万石)、のみ
×氏家行広(ゆきひろ)、相馬義胤(よしたね)

次のうち「織田信長の四天王」に数えられた戦国武将を全て選びなさい
○柴田勝家(1522-1583)、丹羽長秀(1525-1586)、明智光秀(1528-1582)、滝川一益(1535-1585)、のみ
×豊臣秀吉、朝倉義景、森長可

次のうち、戦国時代に活躍した「美濃三人衆」の一人に数えられる武将を全て選びなさい
○稲葉一鉄、安藤守就(もりなり)、氏家卜全(うじいえぼくぜん)、のみ
×斉藤義龍(よしたつ)

次のうち「三好三人衆」に数えられた戦国武将を全て選びなさい
○三好長逸(ながやす)、三好政康(まさやす)、岩成友通(いわなりともみち)
×三好長慶(ながよし)、三好義継(よしつぐ)、十河一存(そごうかずまさ)

次のうち「賤ヶ岳の七本槍」に数えられる戦国時代の武将を全て選びなさい
○福島正則、加藤清正、加藤嘉明、脇坂安治(わきざかやすはる)、平野長泰、糟屋武則(かすやたけのり)、片桐且元、のみ
×柴田勝豊、本多忠勝、佐々成政、蒲生氏郷、大谷吉継、池田恒興(いけだつねおき)

次のうち、下克上の典型とされ「戦国三梟雄」の1人にも数えられる武将を全て選びなさい
○斎藤道三、松永久秀、北条早雲、のみ
×赤松満祐(みつすけ)、明智光秀

次のうち、戦国武将・真田幸村に仕えたとされる「真田十勇士」のメンバーを全て選びなさい
○海野六郎(うんのろくろう)、望月六郎(もちづきろくろう)
×赤星六郎、井上六郎、篠房六郎
[真田十勇士]
猿飛佐助、穴山小介、根津甚八、由利鎌之助、海野六郎、望月六郎、三好清海入道、三好伊三入道、
霧隠才蔵(きりがくれさいぞう)、筧十蔵(かけいじゅうぞう)
(実在の戦国武将・三好政康がモデルの真田幸村に仕えたとされる「真田十勇士」の一人は三好○○入道?(スロット)→三好青海入道)
(実在の戦国武将・三好政勝がモデルの真田幸村に仕えたとされる「真田十勇士」の一人は三好○○入道?(スロット)→三好伊三入道)

次のうち、「茶湯の三大宗匠」と称された戦国時代の茶人を全て選びなさい
○千利休、津田宗及、今井宗久、のみ
×織田有楽

次のうち千利休の弟子である「利休七哲」に数えられる人物を全て選びなさい
○細川忠興、古田織部、芝山監物、蒲生氏郷、高山右近、瀬田正忠(まさただ,掃部,かもん)、牧村利貞(まきむらとしさだ,兵部,ひょうぶ)
×今井宗久、小西行長、大友宗麟、有馬晴信
(「利休七哲」の一人/小倉藩の初代藩主/茶道・三斎流の開祖といわれる/妻の洗礼名はガラシャ→細川忠興)
(「利休七哲」の一人/名前は「重然」/豊臣家の筆頭茶人/独特の形状の茶碗→古田織部(重然,しげなり))
(「利休七哲」の一人/号は「宗綱」/元々は石山本願寺に属する/手水鉢や緞子などに名を残す→芝山監物(宗綱,むねつな))
(「利休七哲」の一人/「風流の利発人」/会津藩発展の基礎を築く/洗礼名は「レオン」→蒲生氏郷)


次のうち、織田信長が摂津攻略後に統治させ「摂津三守護」と呼ばれた武将を全て選びなさい
○池田勝正(いけだかつまさ)、和田惟政(わだこれまさ)、伊丹親興(いたみちかおき)、のみ
×甘粕景持(あまかすかげもち)

次のうち、「府中三人衆」と呼ばれた織田信長の家臣を全て選びなさい(大意)
○不破光治(ふわみつはる)、佐々成政、前田利家、のみ (越前国)
×和田惟政、伊丹親興、宇佐美定満(うさみさだみつ)

次のうち、「上杉四天王」と呼ばれた上杉謙信に仕えた武将を全て選びなさい
○柿崎景家(かきざきかげいえ)、直江景綱(なおえかげつな)、宇佐美定満(うさみさだみつ)、甘粕景持(あまかすかげもち)、のみ
×本庄繁長(ほんじょうしげなが)、色部勝長(いろべかつなが)、新発田重家(しばたしげいえ)
次の文字列を組み合わせて七手組大将と呼ばれた上杉景勝の家臣の名前にしなさい
柿崎景家(かきざきかげいえ)
新発田長敦(しばたながあつ)
中条藤資(なかじょうふじすけ)
本庄繁長(ほんじょうしげなが)
(竹俣清綱(たけのまたきよつな)
(色部勝長(いろべかつなが))
(加地春綱(かじはるつな))

次のうち、毛利輝元を補佐し「四人衆」と呼ばれた家臣を全て選びなさい
○吉川元春、小早川隆景、口羽通良(くちばみちよし)、福原貞俊(ふくばらさだとし)、のみ
×清水宗治、児玉就忠(こだまなりただ)、乃美宗勝(のみむねかつ)、熊谷信直(くまがいのぶなお)、臼杵鑑速(うすきあきすみ,うすきあきはや)

次のうち、「豊後三老」と呼ばれた大友宗麟の家臣を全て選びなさい
○臼杵鑑速(うすきあきすみ)、吉岡長増(よしおかながます)、吉弘鑑理(よしひろあきまさ,よしひろあきただ)、のみ
×立花道雪、福原貞俊(ふくばらさだとし)、田原親賢(たわらちかかた,たばるちかかた)

次のうち、「龍造寺四天王」と呼ばれた龍造寺隆信の家臣を全て選びなさい(大意)
○江里口信常(えりぐちのぶつね)、成松信勝(なりまつのぶかつ)、百武賢兼(ひゃくたけともかね)、円城寺信胤(えんじょうじのぶたね)、木下昌直(きのしたまさなお)
×

次のうち、戦国三大美少年と呼ばれる小姓を全て選びなさい(大意)
○名古屋山三郎(なごやさんさぶろう)、不破万作(ふわばんさく)、浅香庄次郎(あさかしょうじろう)
×

次のうち、室町時代に侍所の所司に任ぜられた四職を全て選びなさい
○山名氏、赤松氏、一色氏、京極氏、のみ (赤山一京)
×細川氏、畠山氏、斯波氏

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[家系]
次のうち、織田信長の妹・お市の方を妻にした戦国武将を全て選びなさい
〇浅井長政、柴田勝家、のみ
×丹羽長秀(にわながひで)、蒲生氏郷

次のうち徳川家康の次女・督姫が結婚した相手を全て選びなさい[督姫(とくひめ)]
○北条氏直、池田輝政、のみ
×前田利長、蒲生秀行、本多忠刻(ただとき)

次のうち徳川秀忠の娘・千姫が正妻となった武将を全て選びなさい
○豊臣秀頼、本多忠刻、のみ
×北条氏直、前田利長

次のうち、NHK大河ドラマ『江~姫たちの戦国』の主人公・江の子供を全て選びなさい(崇源院,江=佐治一成・豊臣秀勝・徳川秀忠と結婚)
○徳川家光(3)、千姫(豊臣秀頼・本多忠刻の正室)、(豊臣完子(さだこ)、珠姫、勝姫、初姫、徳川忠長、徳川和子)
×徳川秀忠(2)、徳川家綱(4)、淀殿、五郎八姫(伊達政宗)、小松姫(本多忠勝)

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[城]
次のお城のうち丘陵に築かれた平山城を全て選びなさい
○姫路城(平山城)、彦根城(平山城)
次のお城のうち平地に築かれた平城を全て選びなさい
○弘前城(平城)、松本城(平城)、名古屋城(平城)、(二条城)
(竹田城=兵庫県朝来市にある山城)

次のうち、国宝に指定されている城を全て選びなさい(画像)
○丸岡城、犬山城、彦根城、姫路城、のみ
×熊本城、大阪城

次のうち戦国時代のままの天守閣が現存する城を全て選びなさい
○弘前城、松本城、丸岡城、犬山城、彦根城、姫路城、松江城、備中松山城、丸亀城、松山城、宇和島城、高知城、のみ
×江戸城、新発田城(新潟県新発田市)
[現存12天守](○は国宝、残りは重要文化財)
弘前城(青森県弘前市)
松本城(長野県松本市)
丸岡城(福井県坂井市)○
犬山城(愛知県犬山市)○
彦根城(滋賀県彦根市)○
姫路城(兵庫県姫路市)○
松江城(島根県松江市)
備中松山城(岡山県高梁市たかはしし)
丸亀城(香川県丸亀市)
松山城(愛媛県松山市)
宇和島城(愛媛県宇和島市)
高知城(高知県高知市)

次のうち、城造りで名高い藤堂高虎が築城・改修を手掛けた城を全て選びなさい
○篠山城(兵庫県篠山市)、膳所城(ぜぜ滋賀県大津市)、
津城(三重県津市)、伊賀上野城(三重県伊賀市)、
宇和島城(愛媛県宇和島市)、今治城(愛媛県今治市)
×福岡城、中津城(大分県中津市)、熊本城(加藤清正)、姫路城(池田輝政が改修)

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[外国人]
次の天正遣欧少年使節のメンバーのうち、正使だったメンバーを全て選びなさい
○伊東マンショ、千々石ミゲル
次の天正遣欧少年使節のメンバーのうち、副使だったメンバーを全て選びなさい
○中浦ジュリアン、原マルティノ

次のうち、戦国時代に来日した外国人を全て選びなさい
○オルガンティーノ(Gnecchi-Soldo Organtino伊)、バリニャーノ(Alessandro Valignano伊)、ルイス・フロイス(Luis Frois葡)、フランシスコ・ザビエル(Francisco de Xavier)
×イグナティウス・デ・ロヨラ(Ignacio Lopez de Loyola西,イエズス会総長)、シーボルト、タウンゼント・ハリス、アーネスト・サトウ

次のうち、天正遣欧少年使節が謁見したローマ教皇を全て選びなさい
○グレゴリウス13世、シクストゥス5世、のみ
×ウルバヌス7世、インノケンティウス9世

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[戦い]
次のうち、1577年の手取川の戦いに参加した武将を全て選びなさい
○上杉謙信、織田信長、柴田勝家
×長宗我部元親、武田信玄、徳川家康
(1577年に加賀国で織田信長が上杉謙信に大敗した戦いを「○○川の戦い」という?(タイピング)→手取川の戦い(てとりがわ)(石川県))

次のうち、1578年の上月城の戦いに参加した武将を全て選びなさい(大意)
○毛利輝元、吉川元春、尼子勝久、山中鹿之助 
×大内義興、島津義久
(1578年に播磨国で毛利輝元軍と尼子勝久・羽柴秀吉・山中幸盛連合軍が衝突した戦いのことを「○○城の戦い」という?(スロット)→上月城の戦い(兵庫県)(毛利軍の勝利、尼子氏滅亡))

次のうち、1578年に九州の耳川の戦いで戦った武将を全て選びなさい
○島津義久、大友宗麟、のみ (大友軍:田原親賢(たわらちかかた))
×大内義興、大内義則、有馬晴信、陶晴賢、鍋島直茂
(日向に攻め込んだ大友宗麟軍を島津義久軍が迎え撃った1578年の合戦は「○川の戦い」?(タイピング)→耳川の戦い(みみかわ)(1578)(大友軍の大敗))

次のうち、1582年の天目山の戦いに参加した戦国武将を全て選びなさい
○武田勝頼、織田信長
×武田信玄、上杉謙信、浅井長政、朝倉義景、伊達政宗
(甲州征伐の天目山の戦いで武田氏滅亡)

次のうち、1582年の神流川の戦いで争った武将を全て選びなさい(大意)
○北条氏直(5)、滝川一益
×織田信長、羽柴秀吉、徳川家康、上杉謙信
(神流川の戦い(かんながわ)=織田信長が本能寺の変によって敗死した後、
織田方の滝川一益と北条氏直・北条氏邦が武蔵国で争った戦い。戦国時代を通じて関東地方で最も大きな野戦とも言われている。滝川軍の大敗)

次のうち、1582年の天正壬午の乱で戦った武将を全て選びなさい
○徳川家康、北条氏直(5)
×滝川一益、羽柴秀吉、上杉謙信
(大まかには徳川家康と北条氏直の戦いとして説明されるが)
(本能寺の変によって空白地帯となった旧武田領を巡って、周辺の大名である徳川家康・北条氏直・上杉景勝が争った出来事である)

次のうち、1582年に織田信長の後継者を決めるために開かれた清州会議に出席した人物を全て選びなさい
○羽柴秀吉、柴田勝家、丹羽長秀、池田恒興、のみ (織田秀信(三法師))
×滝川一益、前田利家、織田信雄
(滝川一益は関東地方へ出陣中で欠席した。直前の神流川の戦いでの敗戦を口実に参加を拒まれたとの説もある)

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[応仁の乱]
次のうち、応仁の乱で東軍についた人物を全て選びなさい
○足利義視(よしみ)、山名是豊、畠山政長、京極持清、赤松政則、斯波義敏、北畠教具(のりとも)

次のうち、応仁の乱で西軍に属した人物を全て選びなさい
○足利義尚(よしひさ第9代将軍)、山名宗全、畠山義就(よしなり)、畠山義統(よしむね)、斯波義廉(よしかど)、一色義直、大内政弘、小笠原清宗

[東軍 - 西軍]
足利氏 - 足利義視 - 足利義尚(第9代将軍,父:足利義政8,母:日野富子)
細川氏 - 細川勝元 - ×
斯波氏 - 斯波義敏 - 斯波義廉
畠山氏 - 畠山政長 - 畠山義就 畠山義統
山名氏 - 山名是豊 - 山名宗全
京極氏 - 京極持清
赤松氏 - 赤松政則
北畠氏 - 北畠教具
大内氏 - - 大内政弘
一色氏 - - 一色義直
小笠原氏 - - 小笠原清宗

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[関ヶ原の戦い]
次の戦国武将のうち、関ヶ原の戦いで東軍に属した人物を全て選びなさい
○徳川家康、前田利長、伊達政宗、福島正則、加藤清正、細川忠興、池田輝政、黒田長政、加藤嘉明、藤堂高虎、山内一豊

次の戦国武将のうち、関ヶ原の戦いで西軍に属した人物を全て選びなさい
○毛利輝元、上杉景勝、島津義弘、宇喜多秀家、佐竹義宣、小早川秀秋、長宗我部盛親、小西行長、増田長盛、石田三成、大谷吉継

次のうち関ヶ原の戦いで西軍から東軍へ寝返った大名を全て選びなさい
○小早川秀秋、吉川広家、小川祐忠(すけただ)、脇坂安治、赤座直保(あかざなおやす)、朽木元綱(くつきもとつな)
×宇喜多秀家、島津義弘、上杉景勝

次の「関ヶ原の戦い」で東軍に属した武将を合戦直前の石高が多かった順に選びなさい
徳川家康(256)→前田利長(84)→伊達政宗(58)→福島正則(24)
→加藤清正(20)→細川忠興(18)→加藤嘉明(10)→藤堂高虎(11)→山内一豊(6)

[関ヶ原の戦い 東西大名一覧]
(○印は関ヶ原に布陣した大名、●は寝返った大名)
[東軍武将 石高(万石)]
徳川家康 (255.0)○
前田利長 (83.0)
伊達政宗 (58.0)
加藤清正 (24.5)
福島正則 (20.0)
細川忠興 (18.0)○
浅野幸長 (16.0)○
池田輝政 (15.2)○
黒田長政 (18.0)○
加藤嘉明 (10.0)○
田中吉政 (10.0)○
藤堂高虎 (8.0)○
最上義光 (24.0)
山内一豊 (5.9)○
蜂須賀至鎮 (17.7)
本多忠勝 (10.0)○
寺沢広高 (8.0)○
生駒一正 (15.0)○
井伊直政 (12.0)○
松平忠吉 (10.0)○
筒井定次 (20.0)○
京極高知 (10.0)○
[西軍武将 石高(万石)]
毛利輝元 (120.5)
上杉景勝 (120.0)
島津義久 (73.0)
宇喜多秀家 (58.0)○
佐竹義宣 (54.0)よしのぶ
小早川秀秋 (35.7)●
長宗我部盛親 (22.0)○
小西行長 (20.0)○
増田長盛 (20.0)
石田三成 (19.4)○
吉川広家 (14.2)●
小川祐忠 (7.0)●
大谷吉継 (5.0)○
脇坂安治 (3.3)●
赤座直保 (2.0)●
朽木元綱 (1.0)●
安国寺恵瓊 (6.0)○
織田秀信 (13.5)
長束正家 (5.0)○
毛利秀元 (20.0)○
戸田勝成 (1.0)○
真田昌幸 (3.8)

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[意味まとめ]
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  1. 2014/05/03(土) 12:54:13|
  2. 戦国時代検定
  3. | トラックバック:13
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戦国時代検定 順番当て

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次の武田信玄と徳川家康の戦いを古い順に選びなさい
一言坂の戦い(1572)→二俣城の戦い(1572)→三方ヶ原の戦い(1573)→野田城の戦い(1573)
(一言坂の戦い(ひとことざか)(1572)=武田信玄の西上作戦の過程で行われた戦いであり二俣城の戦いと三方ヶ原の戦いの前哨戦である)
(二俣城の戦い(1572)=静岡県浜松市にある二俣城の攻防戦)
(三方ヶ原の戦い(1573)=静岡県浜松市。武田信玄の西上作戦の過程で行われた戦い。武田軍の圧勝)
(野田城の戦い(1573)=西上作戦の最終盤の戦い。武田信玄最後の戦としても有名である。武田軍の勝利)

次の人物を戦国武将・島左近が仕えた順に選びなさい
筒井順慶→豊臣秀長→石田三成
(「大和大納言」と呼ばれた豊臣秀吉の弟は豊臣○○?(タイピング)→豊臣秀長)

次の浅井長政の娘を早く生まれた順に選びなさい
淀殿→初→江

次の戦国時代の戦場における役割を格上の順に選びなさい
総大将→脇大将→旗大将

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[関ヶ原の戦い]
次の「関ヶ原の戦い」で東軍に属した武将を合戦直前の石高が多かった順に選びなさい(単位:万石)
徳川家康(256)
前田利長(84)
伊達政宗(58)
福島正則(24)
加藤清正(20)
細川忠興(18)
加藤嘉明(10)
藤堂高虎(11)
山内一豊(6)

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[分国法]
次の戦国時代の分国法を条文の数が多い順に選びなさい
塵芥集 (171ヶ条)
結城家法度 (106ヶ条)
今川仮名目録(33ヶ条)(+義元は21ヶ条を追加)
大友義長条々(25ヶ条)(17条+追加8条の計25ヶ条)
朝倉孝景条々(17ヶ条)

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[元号]
次の戦国時代の元号を使われた順に選びなさい
文明→延徳→文亀→永正→享禄→天文→元亀
[戦国時代]
文明(1469-1487)
長享(1487-1489)
延徳(1489-1492)
明応(1492-1501)
文亀(1501-1504)
永正(1504-1521)
大永(1521-1528)
享禄(1528-1532)
天文(1532-1555)
弘治(1555-1558)
永禄(1558-1570)
元亀(1570-1573)
[安土桃山時代]
天正(1573-1593)
文禄(1593-1596)
慶長(1596-1615)

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[城]
次の戦国武将を佐和山城を居城とした順に選びなさい(滋賀県彦根市の佐和山)
丹羽長秀(羽柴の由来)→堀秀政(1583)→堀尾吉晴(三中老)→石田三成(1590)→井伊直政

次の城を織田信長が居城にした順に選びなさい
那古野城(愛知県名古屋市)(1534-1555)(織田信長生誕の城)(旧城地は廃城から半世紀ほど後に名古屋城)
清洲城(愛知県清須市)(1555-1563)
小牧城(愛知県小牧市)(1563-1567)
岐阜城(岐阜県岐阜市)(1567-1576)
安土城(滋賀県近江八幡市)(1576-1582)

次の城を伊達政宗が居城にした順に選びなさい
米沢城→岩出山城→仙台城→若林城
米沢城(山形県米沢市)(1584-1589)
(黒川城(福島県会津若松市)(1589-1590))
(米沢城(山形県米沢市)(1590-1591))
岩出山城(宮城県大崎市)(1591-1601)
仙台城(宮城県仙台市)(1601-1627)
若林城(宮城県仙台市)(1627-1636)

次の城の写真を築城されたのが早い順に選びなさい(画像)
姫路城(1346)
会津若松城(1384)
小田原城(1417)
熊本城(1469)
松本城(1504)
犬山城(1537)
(大阪城(1583)
和歌山城(1585)
名古屋城(1609)

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[語句作成]

次の文字列を順に選んで戦国武将・武田信玄の言ったとされる言葉にしなさい
人は城 人は石垣 人は堀

次の文字列を順に選んで恵林寺の焼き討ちに際して快川紹喜が残したとされる有名な言葉にしなさい
心頭滅却すれば火も自ずから涼し

次の文字列を順に選んで「家康に過ぎたるもの二つあり」に続く、戦国武将・本多忠勝を評した言葉にしなさい
唐の頭に本多平八

次の文字列を順に選んで戦国武将・豊臣秀吉の辞世(じせい)の句にしなさい
露と落ち 露と消えにし 我が身かな 難波のことも夢のまた夢

次の文字列を順に選んで戦国武将・織田信長の法名にしなさい
総見院殿贈大相国一品泰巌大居士
(そうけんいんでん ぞう だいしょうこく いっぽん たいげんそんぎ)(総見院→殿贈大相国→一品→泰巌尊儀)

次の文字列を順に選んで戦国武将・豊臣秀吉の法名にしなさい
国泰祐松院殿霊山俊龍大居士
(こくたいゆうしょういんでん れいぜんしゅんりゅう だいこじ)(国泰祐→松院殿→霊山俊→龍大居士)

次の文字列を順に選んで戦国武将・明智光秀の辞世にしなさい(順大五覚)
順逆無二門 大道徹心源 五十五年夢 覚来帰一元 (順逆無二門→大道徹心源→五十五年夢→覚来帰一元)
(順逆二門なし 大道は心の源に徹す 五十五年の夢も 覚め来たれば一元に帰す)
(じゅんぎゃくにもんなし だいどうはしんげんに ごじゅうごねんのゆめも さめきたればいちげんにきす)

次の文字列を順に選んで戦国武将・上杉謙信の辞世である漢詩にしなさい
「四十九年 一睡の夢 一期の栄華 一盃の酒」(四十九年→一睡夢→一期栄華→一杯酒)
(しじゅうくねん いっすいのゆめ いちごのえいが いっぱいのさけ)

次の文字列を順に選んで上杉謙信が七尾城の戦いで詠んだとされる漢詩にしなさい
霜は軍営に満ちて秋気清し 数行の過雁月三更 越山併せ得たり能州の景 遮莫あれ家郷の遠征を憶う
(しもはぐんえいにみちてしゅうききよし)(すうこうのかがんつきさんこう)(えつざんあわせえたりのうしゅうのけい)(さもあればかきょうえんせいをおもう)

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[戦い]
次の戦国時代の戦いを起きた順に選びなさい
河越城の合戦(1546)→箕輪城の戦い(1566)→立花城の戦い(1569)→小谷攻め(1573)→鳥取城の戦い(1580)→小田原征伐(1590)
河越城の合戦(1546)→桶狭間の戦い(1560)→三方ヶ原の戦い(1573)→長篠の戦い(1575)→鳥取城の戦い(1580)→山崎の戦い(1582)→小田原征伐(1590)
(1546年の河越城の戦いで北条氏康の奇襲攻撃を受け戦死した、扇谷上杉氏の最後の当主は誰?(四択)→上杉朝定(うえすぎともさだ))
(箕輪城(みのわじょう)=群馬県高崎市。長野氏の居城だが孤立していき、1566年に武田軍は箕輪城への総攻撃を仕掛け、頼みの上杉謙信の援軍を待たずして落城し長野業盛は自刃して果てた)
(立花城の戦い(1569)=安芸国の毛利元就が博多を守る要衝であった立花山城を攻略、大友宗麟と全面対決へと至った。しかし大内輝弘の乱(1569)発生により九州から撤退)
(戦国大名・浅井氏の居城だった滋賀県長浜市にあったお城です「小谷城」→小谷城(おだにじょう)(小谷城の戦い(1573)))
(鳥取城の戦い(1581)=羽柴秀吉は播磨・三木城攻め(三木合戦)で別所長治に行った兵糧攻めをここでも実施した)
(小田原征伐(1590)=豊臣秀吉が関東の後北条氏を降した合戦)


次の戦国時代の出来事を五十音順に選びなさい
桶狭間の戦い→川中島の戦い→享禄・天文の乱→砥石城の戦い
(「洞の乱」とも呼ばれる稙宗、晴宗の親子が対立し伊達家を二分した争いといえば?(四択)→天文の乱(洞の乱(うつろのらん))(1542-1548)(伊達稙宗(だてたねむね))(伊達晴宗(だてはるむね)))
(1550年に武田信玄が村上義清に大敗した戦いのことを一般に「○○崩れ」という?(タイピング)→砥石崩れ)


次の織田信長が全国を統一する過程で戦った戦いを古い順に選びなさい
桶狭間の戦い(1560)→姉川の戦い(1570)→長篠の戦い(1575)→天目山の戦い(1582)(甲州征伐)


次の豊臣秀吉が天下統一に至るまでの出来事を古い順に選びなさい
本能寺の変(1582年6月21日)→中国大返し(1582年約10日間)→賤ヶ岳の戦い(1583)→小牧・長久手の戦い(1584)→小田原征伐(1589)→奥州仕置(1590)
(小田原征伐(1590)=豊臣秀吉が関東の後北条氏を降した合戦)


次の戦国武将・上杉謙信に関する出来事を古い順に選びなさい
小田原城の戦い(1560)→尻垂坂の戦い(1572)→七尾城の戦い(1576)→手取川の戦い(1577)→御舘の乱(1578)
(小田原城の戦い(1560)=上杉氏・長尾氏の連合軍と後北条氏による合戦。上杉連合軍撤退)
(尻垂坂の戦い(しりたれざか)(1572)(富山県富山市)=上杉謙信軍が加賀一向一揆・越中一向一揆連合を破った戦い。富山城の戦いと言われることもある)
(1577年に上杉謙信に包囲され内乱を起こし、長綱連を討った遊佐続光の手で開城された能登畠山氏の居城は○○城?(スロット)→七尾城(ななおじょう)(石川県七尾市)(七尾城の戦い(1576)=能登畠山氏の滅亡))
(1577年に加賀国で織田信長が上杉謙信に大敗した戦いを「○○川の戦い」という?(タイピング)→手取川の戦い(てとりがわ)(石川県))
(上杉謙信の急死後、その家督をめぐって上杉景勝と上杉景虎の間で起こった内乱を○○の乱という?(タイピング)→御館の乱(おたてのらん)(1578))


次の戦国武将・浅井長政に関する出来事を古い順に選びなさい
金ヶ崎の戦い(1570)→姉川の戦い(1570)→志賀の陣(1570)→小谷城の戦い(1573)
(1570年に織田信長が浅井長政、朝倉義景、延暦寺の連合軍と衝突した戦いは「○○の陣」?(タイピング)→志賀の陣(しがのじん)(滋賀県大津市)(比叡山焼き討ち(1571)))
(戦国大名・浅井氏の居城だった滋賀県長浜市にあったお城です「小谷城」→小谷城(おだにじょう)(小谷城の戦い(1573)))


次の四国の戦国武将・長宗我部元親に関する出来事を古い順に選びなさい
八流の戦い(1569)→四万十川の戦い(1575)→賤ヶ岳の戦い(1583)→小牧・長久手の戦い(1584)→戸次川の戦い(1587)→文禄・慶長の役(1592,1598)
(八流の戦い(やながれ)(1569)=土佐国で長宗我部元親と安芸国虎(あきくにとら)との間に起こった合戦。長宗我部軍の勝利)
(四万十川の戦い(1575)=長宗我部氏と土佐一条氏の戦い。この合戦によって長宗我部元親の土佐(高知県)統一が決定的となった)
(1587年に長宗我部元親、仙石秀久ら秀吉の軍勢が島津家久に大敗した戦いを「○○川の戦い」という?(スロット)→戸次川の戦い(へつぎがわ)(島津軍の豊後府内平定、豊臣軍の大敗))


次の戦国武将・大友宗麟に関する出来事を古い順に選びなさい
二階崩れの変(1550)→大内輝弘の乱(1569)→耳川の戦い(1578)→岩屋城の戦い(1586)→戸次川の戦い(1587)
(1550年に勃発した、豊後国の戦国大名・大友氏のお家騒動の通称は「“何”崩れ」?(四択)→二階崩れの変(1550))
(大内輝弘の乱(おおうちてるひろ)(1569)=毛利元就の九州撤退、大内輝弘自害)
(日向に攻め込んだ大友宗麟軍を島津義久軍が迎え撃った1578年の合戦は「○川の戦い」?→耳川の戦い(みみかわ)(1578))
(1586年に島津忠長率いる島津軍が大友氏の家臣・高橋紹運を倒した、九州における戦いを「○○城の戦い」という?→岩屋城の戦い(福岡県太宰府市)(島津軍の勝利、高橋紹運自害))
(1587年に長宗我部元親、仙石秀久ら秀吉の軍勢が島津家久に大敗した戦いを「○○川の戦い」という?(スロット)→戸次川の戦い(島津軍の豊後府内平定、豊臣軍の大敗))


次の戦国武将・島津義久に関する出来事を古い順に選びなさい
木崎原の戦い(1572)→耳川の戦い(1578)→沖田畷の戦い(1584)→岩屋城の戦い(1586)
→戸次川の戦い(1587)→根白坂の戦い(1587)→庄内の乱(1599)
(1572年に伊東義祐の大軍が島津義弘のわずかな軍勢に日向国で敗れた戦いを「○○○の戦い」という?(スロット)→木崎原の戦い(きざきばる)(伊東義祐,いとうよしすけ,日向))
(日向に攻め込んだ大友宗麟軍を島津義久軍が迎え撃った1578年の合戦は「○川の戦い」?(タイピング)→耳川の戦い(みみかわ))
(1584年に肥後国で起きた、有馬・島津連合軍と龍造寺隆信軍による合戦は「○○畷の戦い」?(タイピング)→沖田畷の戦い)
(1586年に島津忠長率いる島津軍が大友氏の家臣・高橋紹運を倒した、九州における戦いを「○○城の戦い」という?→岩屋城の戦い(福岡県太宰府市)(島津軍の勝利、高橋紹運自害))
(1587年に長宗我部元親、仙石秀久ら秀吉の軍勢が島津家久に大敗した戦いを「○○川の戦い」という?(スロット)→戸次川の戦い(島津軍の豊後府内平定、豊臣軍の大敗)
(1587年に九州征伐を開始した豊臣秀吉軍と島津義久軍が日向国で激突した戦いを「○○○の戦い」という?(スロット)→根白坂の戦い(ねじろざか)(沖田綴→戸次川→根白坂))
(1599年関ヶ原の戦いの直前に起きた、島津氏とその家臣・伊集院氏との間で起きたお家騒動を「○○の乱」という?(スロット)→庄内の乱(宮崎県都城市)(関ヶ原の戦い直前の大乱であり島津氏が関ヶ原の戦いに大軍を送れなかった原因になったともいわれている))


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[武将 誕生順]
次の戦国武将を生まれた順に選びなさい
織田信長(1534-1582)
豊臣秀吉(1537-1598)
前田利家(1539-1599)
徳川家康(1543-1616)
浅井長政(1545-1573)
毛利輝元(1553-1625)
真田幸村(1567-1615)

次の戦国武将を死去したのが早い順に選びなさい
織田信長(1534-1582)
豊臣秀吉(1537-1598)
徳川家康(1543-1616)

次の織田信長の四天王を早く生まれた順に選びなさい
柴田勝家(1522-1583)
滝川一益(1525-1586)
明智光秀(1528-1582)
丹羽長秀(1535-1585)(したあに)

次の織田信長の息子を長男から順に選びなさい
織田信忠(おだのぶただ)(長男)(1557-1582)
織田信雄(おだのぶかつ,おだのぶお)(次男)(1558-1630)(松山藩の初代藩主である織田信長の次男「織田信雄」→織田信雄)
織田信孝(おだのぶたか)(三男)(1558-1583)

次の伊達氏の武将を生まれた順に選びなさい
伊達稙宗(だてたねむね)(伊達氏第14代当主)(1488-1565)
伊達晴宗(だてはるむね)(伊達氏第15代当主)(1519-1578)
伊達輝宗(だててるむね)(伊達氏第16代当主)(1544-1585)(伊達政宗の父)
伊達政宗(だてまさむね)(伊達氏仙台藩初代藩主:1600-1636)(伊達氏第17代当主)(1567-1636)
伊達忠宗(だてただむね)(伊達氏仙台藩第2代藩主:1636-1658)(1600-1658)(伊達政宗の息子)
(分国法の塵芥集を制定するなど伊達家の基礎を築いた人物です「伊達稙宗」→伊達稙宗(だてたねむね))

次の北条氏の武将を生まれた順に選びなさい
北条早雲(ほうじょうそううん)(後北条氏初代当主:1487-1516)(1432-1456)
北条氏綱(ほうじょううじつな)(後北条氏第2代当主:1512-1541)(1487-1541)
北条氏康(ほうじょううじやす)(後北条氏第3代当主:1541-1559)(1515-1571)
北条氏政(ほうじょううじまさ)(後北条氏第4代当主:1559-1580)(1538-1590)
北条氏直(ほうじょううじなお)(後北条氏第5代当主:1580-1591断絶)(1562-1591)

次の上杉氏の武将を生まれた順に選びなさい
上杉謙信(うえすぎけんしん)()(1530-1578)
上杉景勝(うえすぎかげかつ)(上杉氏米沢藩初代藩主:1601-1623)(1556-1623)
上杉定勝(うえすぎさだかつ)(上杉氏米沢藩第2代藩主:1623-1645)(1604-1645)

次の斎藤氏の武将を生まれた順に選びなさい
斎藤道三(さいとうどうさん)(斎藤氏初代当主:1541-1554)(1494-1556)
斎藤義龍(さいとうよしたつ)(斎藤氏第2代当主:1554-1561)(1527-1561)
斎藤龍興(さいとうたつおき)(斎藤氏第3代当主:1561-1573)(1548-1573)

次の浅井氏の武将を生まれた順に選びなさい
浅井亮政(あざいすけまさ)(浅井氏初代目当主:-1542)(1491-1542)
浅井久政(あざいひさまさ)(浅井氏第2代目当主:1542-1560)(1526-1573)
浅井長政(あざいながまさ)(浅井氏第3代目当主最後:1560-1573)(1545-1573)

次の朝倉氏の武将を生まれた順に選びなさい
朝倉貞景(あさくらさだかげ)(朝倉氏第9代当主:1486-1512)(1473-1512)
朝倉孝景(あさくらたかかげ)(朝倉氏第10代当主:1512-1548)(1493-1548)
朝倉義景(あさくらよしかげ)(朝倉氏第11代当主最後:1544-1573)(1533-1573)

次の三好氏の武将を生まれた順に選びなさい
三好元長(みよしもとなが)(三好氏第4代当主:1520-1532)(1501-1532)
三好長慶(みよしながよし)(三好氏第5代当主:1532-1564)(1522-1564)
三好義継(みよしよしつぐ)(三好氏第6代当主,事実上最後の当主:1564-1573)(1549-1573)

次の大内氏の武将を生まれた順に選びなさい
大内政弘(おおうちまさひろ)(周防大内氏第14代当主:1465-1494)(1446-1495)
大内義興(おおうちよしおき)(周防大内氏第15代当主:1494-1528)(1477-1529)
大内義隆(おおうちよしたか)(周防大内氏第16代当主:1528-1551)(1507-1551)
大内義長(おおうちよしなが)(周防大内氏第17代当主,事実上最後の当主:1552-1557)(1532-1557)

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[意味まとめ]
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  1. 2014/05/03(土) 12:53:36|
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戦国時代検定 線結び

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[基本]
次の戦国時代のできごととそのできごとが起こった西暦の正しい組み合わせを選びなさい
鉄砲伝来:1543年
キリスト教伝来:1549年
桶狭間の戦い:1560年
室町幕府滅亡:1573年
本能寺の変:1582年
関が原の戦い:1600年

次の戦国時代の武将と一時名乗っていた名前の正しい組み合わせを選びなさい  
豊臣秀吉:木下藤吉郎
徳川家康:松平元康
上杉謙信:長尾景虎

次の戦国時代の武将とその武将が仕えた人物の正しい組み合わせを選びなさい
山本勘助:武田信玄
直江兼続:上杉景勝
太原雪斎:今川義元
黒田官兵衛:豊臣秀吉
次の戦国時代の武将とそれに仕えた軍師の正しい組み合わせを選びなさい
上杉謙信:宇佐美定満
上杉景勝:直江兼続
羽柴秀吉:竹中半兵衛
徳川家康:本多正信
次の戦国武将と配下の軍師の正しい組み合わせを選びなさい
上杉謙信:宇佐美定満
武田信玄:山本勘助
大友宗麟:角隈石宗(つのくませきそう)

次の戦国時代の武将とその馬印の正しい組み合わせを選びなさい
織田信長:金塗りの唐傘
豊臣秀吉:金の逆さ瓢箪に金の切裂
徳川家康:金扇
上杉謙信:紺地朱の丸扇

次の戦国武将とその異名の正しい組み合わせを選びなさい
武田信玄:甲斐の虎
上杉謙信:越後の龍
斎藤道三:美濃のまむし
片倉重長:鬼の小十郎
龍造寺隆信:肥前の熊
飯富虎昌:甲山の猛虎(おぶとらまさ)

次の戦国武将とその幼名の正しい組み合わせを選びなさい
今川義元:芳菊丸(ほうぎくまる)
三好長慶:千熊丸
太田道灌:鶴千代
織田信忠:奇妙丸
伊達政宗:梵天丸
上杉謙信:虎千代
豊臣秀吉:日吉丸
徳川家康:竹千代

次の戦国武将と亡くなった場所の正しい組み合わせを選びなさい
武田信玄:三河街道
上杉謙信:春日山城
豊臣秀吉:伏見城
徳川家康:駿府城

次の戦国時代に「三大謀将」と呼ばれた武将と治めていた国の正しい組み合わせを選びなさい
宇喜多直家:備前(岡山県)
毛利元就:安芸
尼子経久:出雲

次の戦国武将の「五奉行」に数えられる武将とその担当の正しい組み合わせを選びなさい
浅野長政:司法担当(司法担当)
石田三成:司法・一般行政(行政担当)
増田長盛:土木担当(土木担当)
長束正家:知行・兵糧(財政担当)
前田玄以:公家・寺社(宗教担当)

次の旗印とその旗印を使った戦国武将の正しい組み合わせを選びなさい(画像)
前田利家:梅鉢(うめばち)(円形が五角形に並ぶ)
石田三成:大一大万大吉
今川義元:赤鳥紋(あかとり)(今川赤鳥)(動物の鳥ではなく昔の器具の「垢取り」の当て字)

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次の戦国時代に関する史料とその著者の正しい組み合わせを選びなさい
『信長公記』:太田牛一
『天正記』:大村由己
『三河物語』:大久保彦左衛門

次の戦国時代の武将と任ぜられた官位の正しい組み合わせを選びなさい
伊達政宗:陸奥守
北条氏康:相模守
結城秀康:三河守
長野業正:信濃守
蜂須賀家政:阿波守
加藤清正:肥後守
宗義智(そうよしとし):対馬守

次の戦国時代に存在した忍者の流派と、それが発生した旧国名の正しい組み合わせを選びなさい
福智流:下野国(栃木県,しもつけのくに)
忍光流:甲斐国(山梨県)
義経流:越前国(福井県,よしつねりゅう)
名取流:紀伊国(和歌山県)
福島流:安芸国(広島県)

次の「三弾正」と呼ばれた武田信玄の3人の部下と別名の正しい組み合わせを選びなさい
高坂昌信(こうさかまさのぶ):逃げ弾正
真田幸隆(さなだゆきたか):攻め弾正
保科正俊(ほしなまさとし):槍弾正

次の戦国武将と、その異名の正しい組み合わせを選びなさい
前田利家:槍の又左(またざ)
渡辺守綱:槍の半蔵 (わたなべもりつな,渡辺半蔵)
渡辺了:槍の勘兵衛 (わたなべさとる,渡辺勘兵衛)

次の上杉家の諸家とその家出身の人物の正しい組み合わせを選びなさい
犬懸上杉家(いぬがけ):上杉禅秀(ぜんしゅう)
扇谷上杉家(おうぎがやつ):上杉朝定(ともさだ)
山内上杉家(やまのうち):上杉憲政(のりまさ)

次の文字列を組み合わせて関ヶ原の戦いで東軍についた武将の名前にしなさい
徳川家康(256)
前田利長(84)
伊達政宗(58)
福島正則(24)
加藤清正(20)
細川忠興(18)
(池田輝政(15))
加藤嘉明(10)
藤堂高虎(11)
山内一豊(6)

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[戦]
次の川中島の戦いでの合戦とその別名の正しい組み合わせを選びなさい(1-5)
第一次合戦:布施の戦い(1553)
第二次合戦:犀川の戦い(1555)
第三次合戦:上野原の戦い(1557)(山梨県上野原市(うえのはらし))
第四次合戦:八幡原の戦い(1561)(長野県長野市八幡原(はちまんぱら))
第五次合戦:塩崎の対陣(1564)

次の戦国武将と本能寺の変が起こった時にいた場所の正しい組み合わせを選びなさい
羽柴秀吉:備中(岡山県)
柴田勝家:越中(富山県)
徳川家康:堺

次の戦国武将・織田信長が参加した戦いと対戦相手の正しい組み合わせを選びなさい
桶狭間の戦い(1560):今川義元
姉川の戦い(1570):浅井長政
手取川の戦い(1577):上杉謙信
(1577年に加賀国で織田信長が上杉謙信に大敗した戦いを「○○川の戦い」という?(タイピング)→手取川の戦い)

次の戦国武将・羽柴秀吉が参加した戦いと対戦相手の正しい組み合わせを選びなさい
上月城の戦い(1578):毛利輝元
山崎の戦い(1582):明智光秀
賤ヶ岳の戦い(1583):柴田勝家
小牧・長久手の戦い(1584):徳川家康
(1578年に播磨国で毛利輝元軍と尼子勝久・羽柴秀吉・山中幸盛連合軍が衝突した戦いのことを「○○城の戦い」という?(スロット)→上月城の戦い(兵庫県)(毛利軍の勝利、尼子氏滅亡))

次の戦国時代の合戦とその舞台となった場所の正しい組み合わせを選びなさい(画像)
桶狭間の戦い(1560):愛知県
山崎の戦い(1582):大阪と京都
関ヶ原の戦い(1600):岐阜県
大坂夏の陣(1615):大阪府

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[家系]
次の戦国武将・浅井長政の娘と嫁いだ相手の正しい組み合わせを選びなさい(浅井長政-お市)
淀殿:豊臣秀吉
初:京極高次
江:徳川秀忠
次の織田信長の妹・お市の方の娘と彼女らが嫁いだ戦国武将の正しい組み合わせを選びなさい(浅井長政-お市)
茶々(淀殿)(長女):豊臣秀吉(側室)
初(常高院)(次女):京極高次(正室)
江(崇源院)(三女):徳川秀忠(正室)(最初の婚姻は佐治一成だが豊臣秀吉によって離縁。2度目の婚姻は豊臣秀吉の甥・豊臣秀勝で娘の豊臣完子(さだこ)が生まれたが死別。3度目の婚姻が江戸幕府第2代将軍の徳川秀忠)

次の戦国武将・織田信長の娘と嫁いだ相手の正しい組み合わせを選びなさい(大意)
五徳(徳姫)(長女):松平信康(徳川家康の長男)
冬姫:蒲生氏郷
永姫:前田利長
秀子:筒井定次(つついさだつぐ)
(報恩院:丹羽長重の正室)
(三の丸殿:豊臣秀吉の側室)

次の豊臣秀吉の側室とその父である武将の正しい組み合わせを選びなさい
淀殿:浅井長政
加賀殿:前田利家
三の丸殿:織田信長
姫路殿:織田信包(おだのぶかね)
月桂院:足利頼純(あしかがよりずみ)
三条殿:蒲生賢秀(がもうかたひで)
松の丸殿:京極高吉(きょうごくたかよし)
お種殿:高田次郎左衛門

次の戦国時代の女性とその夫である武将の正しい組み合わせを選びなさい
芳春院:前田利家
築山殿:徳川家康
見性院:山内一豊

次の戦国武将と正室の正しい組み合わせを選びなさい
織田信長:濃姫
豊臣秀吉:ねね(高台院)
柴田勝家:お市の方
今川義元:定恵院(じょうけいいん)
前田利家:まつ(芳春院)
伊達政宗:愛姫(よしひめ,めごひめ)
斎藤道三:小見の方(おみのかた)
宇喜多秀家:豪姫
山内一豊:見性院(けんしょういん)
毛利元就:妙玖(みょうきゅう)
真田信幸:小松姫

次の戦国武将と母親の正しい組み合わせを選びなさい
今川義元:寿桂尼
武田信玄:大井夫人
上杉謙信:虎御前
伊達政宗:義姫(愛姫は伊達政宗の正室)
徳川家康:於大の方

次の戦国武将と娘の正しい組み合わせを選びなさい
毛利元就:五龍局(ごりゅうのつぼね)
明智光秀:細川ガラシャ
前田利家:豪姫(ごうひめ)
武田信玄:真理姫(真竜院)
織田信長:冬姫(次女)
徳川家康:督姫(とくひめ,次女)

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[キリシタン]
次のキリシタン大名とその洗礼名の正しい組み合わせを選びなさい
大友宗麟:フランシスコ(豊後)
大村純忠:バルトロメオ(肥前,初キリシタン大名)
有馬晴信:プロタジオ(肥前)
蒲生氏郷:レオ
高山右近:ジュスト
小西行長:アウグスティノ
黒田如水:シメオン(黒田孝高,くろだよしたか,豊前国中津城主)
黒田長政:ダミアン
木下勝俊:ペテロ
宇久純尭:ドン・ルイス(宇久純尭,うくすみたか)

次の文字列を組み合わせて天正遣欧少年使節のメンバーの名前にしなさい
伊東マンショ
千々石ミゲル
中浦ジュリアン
原マルティノ

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[分国法]
次の戦国時代に用いられた分国法とその制定者の正しい組み合わせを選びなさい
甲州法度之次第:武田氏
塵芥集:伊達氏
新加制式:三好氏

次の分国法とその国名の正しい組み合わせを選びなさい
塵芥集:陸奥国
朝倉敏景十七箇条:越前
大内家壁書:周防

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[剣の流派]
次の戦国時代に栄えた剣の流派とその開祖の正しい組み合わせを選びなさい
天流:斎藤勝秀(かつひで)(斎藤伝鬼坊)
霞流:真壁氏幹(まかべうじもと)
微塵流:根岸兎角(ねぎしとかく)
神影流:奥山公重(おくやまきみしげ)
新陰流:上泉信綱(かみいずみのぶつな)
馬庭念流:樋口定次(ひぐちさだつぐ)
柳生新陰流:柳生宗厳
(戦国時代に栄えた剣の流派で新陰流の開祖といえば?(文字パネル)→上泉信綱)
(戦国時代に栄えた剣の流派柳生新陰流の開祖です「柳生宗厳」→柳生宗厳(やぎゅうむねよし))
(樋口定次によって確立されたとされる、戦国時代に栄えた剣の流派は○○○流?(スロット)→馬庭念流)
(戦場で長い樫の棒を武器にして暴れまわったことから「鬼真壁」の異名で呼ばれた、戦国武将・佐竹義重の家臣は真壁○○?(スロット)→真壁氏幹(まかべうじもと)(霞流棒術)(樫,カシ)

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[陣形]
次の文字列を組み合わせて戦国における陣形の一般的な名称にしなさい
次の戦国時代の合戦で使われた陣形とその名称の正しい組み合わせを選びなさい(画像)
方円の陣(○型)
雁行の陣(/字型)
長蛇の陣(I型)
衝軛の陣(II型)
鶴翼の陣(V字型)
偃月の陣(Λ字型)
鋒矢の陣(↑型)
魚鱗の陣(魚型)

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[城]
次の戦国時代の城と居城していた武将の正しい組み合わせを選びなさい
観音寺城(滋賀県近江八幡市):六角義賢
小谷城(おだにじょう,滋賀県長浜市):浅井長政
月山富田城(島根県安来市):尼子経久

次の国宝となっているお城と築城した武将の正しい組み合わせを選びなさい
姫路城:池田輝政
彦根城:井伊直継(井伊直勝)
松本城:石川康長(いしかわやすなが)
犬山城:小笠原吉次(おがさわらよしつぐ)

次の城とその築城者の正しい組み合わせを選びなさい
鳥取城:山名誠通(やまなのぶみち)
松江城:堀尾吉晴 (島根県松江市)
広島城:毛利輝元
岩国城:吉川広家
次の四国の城とその築城者の正しい組み合わせを選びなさい(大意)
丸亀城:京極高知(きょうごくたかとも)
今治城:藤堂高虎 (愛媛県今治市)
伊予松山城:加藤嘉明 (愛媛県松山市)

次の関東七名城と呼ばれたお城と存在した関東の県の正しい組み合わせを選びなさい
新田金山城:群馬県(太田市)
太田城:茨城県(常陸太田市)
唐沢山城(からさわやまじょう):栃木県(佐野市)
(川越城:埼玉県(川越市))
(忍城:埼玉県(行田市))
(前橋城:群馬県(前橋市))
(宇都宮城:栃木県(宇都宮市))

次の城の縄張りの形式とそれに分類される城の正しい組み合わせを選びなさい
梯郭式:会津若松城(ていかくしき)(本丸を城郭の片隅に配置し、周囲の2方向あるいは3方向を他の曲輪で囲む縄張である)
連郭式:彦根城 (本丸と二の丸を並列に配置する縄張である)
輪郭式:名古屋城
螺旋式:姫路城
稜堡式:龍岡城(長野県佐久市,りょうほしき)

次の城とその地勢による分類の正しい組み合わせを選びなさい
姫路城:平山城
二条城:平城
竹田城:山城 (兵庫県朝来市(あさごし))

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[法名]
次の戦国時代の武将とその法名の正しい組み合わせを選びなさい
伊達政宗:瑞巌寺殿貞山禅利大居士(ずいがんじでんていざんぜんりだいこじ)
石田三成:江東院正岫因公大禅定門(こうとういんしょうしゅういんこうだいぜんじょうもん)
加藤清正:浄池院殿永運日乗大居士(じょうちいんでんえいうんにちじょうだいこじ)
浅井長政:養源院天英宗(ようげんいんてんえいそう)
長宗我部元親:雪渓如三大居士(せっけいじょさんだいこじ)
(伊達政宗:瑞巌寺、石田三成:江東院、加藤清正:浄池院、浅井長政:養源院、長宗我部元親:雪渓如)
織田信長:総見院殿贈大相国一品泰巌大居士(そうけんいんでん ぞうだいしょうこく いっぽんたいげんそんぎ)
豊臣秀吉:国泰祐松院殿霊山俊龍大居士(こくたいゆうしょういんでん れいぜんしゅんりゅうだいこじ)

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[語句作成]
次の文字列を組み合わせて「伊達の三傑」に数えられた3人の戦国武将の名前にしなさい
片倉景綱(かたくらかげつな)
伊達成実(だてしげざね)
茂庭綱元(もにわつなもと)

次の文字列を組み合わせて「上杉四天王」と呼ばれた上杉謙信に仕えた武将の名前にしなさい
直江景綱(なおえかげつな)
甘粕景持(あまかすかげもち)
柿崎景家(かきざきかげいえ)
宇佐美定満(うさみさだみつ)

次の文字列を組み合わせて七手組大将と呼ばれた上杉景勝の家臣の名前にしなさい
柿崎景家(かきざきかげいえ)
新発田長敦(しばたながあつ)
中条藤資(なかじょうふじすけ)
本庄繁長(ほんじょうしげなが)
(竹俣清綱(たけのまたきよつな)
(色部勝長(いろべかつなが))
(加地春綱(かじはるつな))

次の文字列を組み合わせて1600年の上田合戦で功績をあげ「上田七本槍」と呼ばれた徳川家康の家臣の名前にしなさい
中山照守(なかやまてるもり)
小野忠明(おのただあき)
辻久吉(つじひさよし)
鎮目惟明(しずめこれあき)
戸田光正(とだみつまさ)
斎藤信吉(さいとうのぶよし)
朝倉宣正(あさくらのぶまさ)

次の文字列を組み合わせて「黒田八虎」と呼ばれた黒田如水の優秀な部下の名前にしなさい(黒田八虎,くろだはっこ)
井上之房(いのうえゆきふさ)
栗山利安(くりやまとしやす)
黒田一成(くろだかずしげ)
後藤基次(ごとうもとつぐ)
母里友信(もりとものぶ)
(黒田利高(くろだとしたか))
(黒田利則(くろだとしのり))
(黒田直之(くろだなおゆき))

次の文字を組み合わせて龍造寺四天王と呼ばれた戦国武将・龍造寺隆信の家臣の名前にしなさい
江里口信常(えりぐちのぶつね)
成松信勝(なりまつのぶかつ)
百武賢兼(ひゃくたけともかね)
円城寺信胤(えんじょうじのぶたね)
木下昌直(きのしたまさなお)

次の文字列を組み合わせて島津四勇将と呼ばれた戦国大名・島津氏の家臣の名前にしなさい
新納忠元(にいろただもと)
川上久朗(かわかみひさあき)
鎌田政年(かまたまさとし)
肝付兼盛(きもつきかねもり)

次の文字列を組み合わせて戦国三大美少年と呼ばれる小姓の名前にしなさい
名古屋山三郎(なごやさんさぶろう)
不破万作(ふわばんさく)
浅香庄次郎(あさかしょうじろう)

次の文字列を組み合わせて「美濃三人衆」と呼ばれた戦国武将の名前にしなさい
氏家ト全
安藤守就
稲葉一鉄

次の文字列を組み合わせて「賤ヶ岳の七本槍」と呼ばれた戦国武将の名前にしなさい
福島正則
加藤清正
加藤嘉明(かとうよしあき)
脇坂安治(わきざかやすはる)
平野長泰
糟屋武則(かすやたけのり)
片桐且元

次の文字列を組み合わせて小豆坂の戦いで功績をあげ「小豆坂七本槍」と呼ばれた織田信秀の家臣の名前にしなさい
織田信光(おだのぶみつ)
織田信房(おだのぶふさ)
岡田重能(おかだしげよし)
佐々政次(さっさまさつぐ)
佐々孫介(さっさまごすけ)
中野一安(なかのかずやす)
下方貞清(しもかたさだきよ)

次の文字列を組み合わせて織田四天王と呼ばれた織田信長の家臣の名前にしなさい
柴田勝家
滝川一益
明智光秀
丹羽長秀

次の文字列を組み合わせて豊臣政権で「五奉行」と呼ばれた人物の名前にしなさい
浅野長政(司法担当)
石田三成(行政担当)
増田長盛(土木担当)
長束正家(財政担当)
前田玄以(宗教担当)

次の文字列を組み合わせて「羽柴四天王」と呼ばれた豊臣秀吉古参の家臣の名前にしなさい
宮田光次(みやたみつつぐ)
神子田正治(みこだまさはる)
尾藤知宣(びとうとものぶ)
戸田勝隆(とだかつたか)

次の文字列を組み合わせて豊臣秀吉が組織した旗本衆七手組の組頭を務めた武将の名前にしなさい
速水守久(はやみもりひさ)
伊東長実(いとうながざね)
中島氏種(なかしまうじたね)
真野頼包(まのよりかね)
青木一重(あおきかずしげ)
(堀田盛高(ほったもりたか))
(野々村幸成(ののむらゆきなり))
(松浦秀任(まつうらひでとう))

次の文字列を組み合わせて大阪の役に浪人として参加した「五人衆」の名前にしなさい
真田幸村
毛利勝永(もうりかつなが)
明石全登(あかしたけのり)
長宗我部盛親(ちょうそかべもりちか)
後藤又兵衛(ごとうまたべえ)(後藤基次,ごとうもとつぐ)

次の文字列を組み合わせて武田信玄が軍旗に記した有名な文句にしなさい
疾きこと風の如く
徐かなること林の如く
侵掠すること火の如く
動かざること山の如し

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[意味まとめ]
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  1. 2014/05/03(土) 12:53:09|
  2. 戦国時代検定
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戦国時代検定 キューブ

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1585年に徳川家康のもとから出奔した武将です
→石川数正(いしかわかずまさ)
「五奉行」の一人である戦国時代の武将です
→浅野長政(あさのながまさ)
「五大老」の一人である戦国時代の武将です
→宇喜多秀家(うきたひでいえ)
「真田十勇士」の一人です
→穴山小助(あなやまこすけ)(穴山小介)
「真田十勇士」の一人です
→由利鎌之助(ゆりかまのすけ)
「真田十勇士」の一人です
→根津甚八(ねづじんぱち)
ここで羽柴秀吉が柴田勝家を破りました
→賤ヶ岳(しずがたけ)
従兄弟である堀秀政に仕えた「天下の三陪臣」の一人
→堀直政(ほりなおまさ)
江戸時代に仙台を訪れて伊達政宗に謁見したスペインの探検家
→セバスティアン・ビスカイノ(Sebastian Vizcaino)
織田信長が自害しました
→本能寺(ほんのうじ)
織田信長が琵琶湖畔に築きました
→安土城(あづちじょう)
織田信長と豊臣秀吉が政権を握った時代です
→織豊時代(しょくほうじだい)
織田信長の信任を得て南蛮寺を設立したイエズス会宣教師です
→グネッキ・ソルディ・オルガンティーノ(Gnecchi-Soldo Organtino)
城を構成する区画の一つです
→三の丸(さんのまる)
城を構成する区画の一つです
→西の丸(にしのまる)
戦国時代に栄えた剣の流派です
→深甚流(ふかじんりゅう)
戦国時代に活躍した水墨画家です
→雪舟(せっしゅう)
戦国時代に活躍した水墨画家です
→長谷川等伯(はせがわとうはく)
戦国時代の分国法の一つです
→新加制式(しんかせいしき)(22ヶ条)(阿波の三好氏)(徳島県三好市)
東京の「有楽町」に名を残す織田信長の弟
→織田有楽斎(おだうらくさい)
豊臣秀吉の正室です
→高台院(こうだいいん)
羽柴秀吉が明智光秀を破る「山崎の戦い」の舞台となった山
→天王山(てんのうざん)
秀吉が北野大茶会に招いたわび茶の大成者です
→千利休(せんのりきゅう)
本名を「信繁」という、「大坂夏の陣」で家康に迫った武将
→真田幸村(さなだゆきむら)
大和の郡山城主でもあった豊臣秀吉の五奉行の一人
→増田長盛(ましたながもり)
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[意味まとめ]
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  1. 2014/05/03(土) 12:52:39|
  2. 戦国時代検定
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戦国時代検定 エフェクト

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1542年に始まった伊達稙宗と嫡男・晴宗による内紛「洞の乱」
→洞の乱(うつろのらん)(天文の乱)(伊達氏当主・伊達稙宗(たねむね)と嫡男・伊達晴宗(はるむね))
1550年に家臣に殺害された大友宗麟の父親です「大友義鑑」
→大友義鑑(おおともよしあき)
1554年に陶晴賢と毛利元就が争ったのは○○○の戦い?「折敷畑」
→折敷畑の戦い(おしきばた)(広島県廿日市市)
1570年の金ヶ崎の戦いで織田信長を助けた豪族「朽木元綱」
→朽木元綱(くつきもとつな)
1570年の宇佐山城の戦いで戦死した織田信長の家臣「森可成」
→森可成(もりよしなり)
1573年の三方ヶ原の戦いで戦死した織田信長の家臣「平手汎秀」
→平手汎秀(ひらてひろひで)
1578年に毛利輝元と尼子勝久が激突した播磨の城「上月城」
→上月城(こうづきじょう)
1580年に落城した加賀・一向一揆の拠点となった城「二曲城」
→二曲城(ふとげじょう)
1581年に龍造寺隆信に殺害された筑後国柳川城主「蒲池鎮漣」
→蒲池鎮漣(かまちしげなみ)
1586年に戸次川の戦いで戦死した、三好義賢の次男「十河存保」
→十河存保(そごうまさやす)
1591年に謀反を起こした南部信直の家臣です「九戸政実」
→九戸政実(くのへまさざね)
「鬼美濃」の異名をとった武田信虎、信玄に仕えた武将「原虎胤」
→原虎胤(はらとらたね)
「五奉行」の一人である戦国時代の武将です「長束正家」
→長束正家(なつかまさいえ)
「五大老」の一人でもある戦国時代の武将です「前田利家」
→前田利家(まえだとしいえ)
「笹の才蔵」と怖れられた福島正則の家臣は○○才蔵?「可児」
→可児才蔵(かにさいぞう)
「女戦国大名」と呼ばれた武将・今川義元の母親です「寿桂尼」
→寿桂尼(じゅけいに)
「土岐鷹」と呼ばれる絵も有名な美濃の守護大名「土岐頼芸」
→土岐頼芸(ときよりのり,ときよりなり,ときよりよし,ときよりあき)
「黒田八虎」の一人として数えられる戦国時代の武将「母里友信」
→母里友信(もりとものぶ)
「黒田八虎」の一人として数えられる戦国時代の武将「井上之房」
→井上之房(いのうえゆきふさ)
「上田七本槍」の一人に数えられた戦国武将です「鎮目惟明」
→鎮目惟明(しずめこれあき)
「上田七本槍」の一人に数えられた戦国武将です「中山照守」
→中山照守(なかやまてるもり)
「賤ヶ岳の七本槍」の一人にも数えられる戦国時代の武将です「脇坂安治」
→脇坂安治(わきざかやすはる)
「賤ヶ岳の七本槍」の一人にも数えられる戦国時代の武将です「平野長泰」
→平野長泰(ひらのながやす)
「畠山七人衆」の一人に数えられた戦国武将です「温井総貞」
→温井総貞(ぬくいふささだ)
「豊後三老」と呼ばれた大友宗麟の家臣の一人「臼杵鑑速」
→臼杵鑑速(うすきあきすみ,うすきあきはや)
15世紀後半に成田顕泰が築いた関東七名城の一つです「忍城」
→忍城(おしじょう)
お家騒動の結果自害した戦国武将・今川義元の兄「玄広恵探」
→玄広恵探(げんこうえたん)
かつて島根県にあった小笠原氏の居城です「温湯城」
→温湯城(ぬくゆじょう)
かつて広島市にあった毛利氏の城は○○○○城?「佐東銀山」
→佐東銀山城(さとうかなやま)
ザラ峠越えで有名な織田信長に仕えた武将「佐々成政」
→佐々成政(さっさなりまさ)
朝倉義景を裏切って信長に降伏した義景の側近です「前波吉継」
→前波吉継(まえばよしつぐ)
朝倉義景を裏切り自害に追い込んだのは朝倉○○?「景鏡」
→朝倉景鏡(あさくらかげあきら)
安土桃山時代に活躍した寺や城の石垣を作った職人「穴太衆」
→穴太衆(あのうしゅう)
尼子経久に対して反乱を起こした経久の三男です「塩冶興久」
→塩冶興久(えんやおきひさ)
巌島の戦いで毛利元就に敗れた室町時代の武将「陶晴賢」
→陶晴賢(すえはるかた)
因幡鹿野藩の初代藩主となった「槍の新十郎」の異名を持つ武将「亀井茲矩」
→亀井茲矩(かめいこれのり)
今川義元の軍師として知られる臨済宗の僧侶です「太原崇孚」
→太原崇孚(たいげんすうふ)
上杉家の家老として活躍した戦国武将です「直江兼続」
→直江兼続(なおえかねつぐ)
温州みかんの栽培や産業開発を奨励した島津氏配下の武将です「禰寝重長」
→禰寝重長(ねじめしげたけ)
多くの戦国武将たちがこれを目指しました「天下統一」
→天下統一(てんかとういつ)
大坂夏の陣でも活躍した豊臣秀吉が創設した旗本衆「七手組」
→七手組(ななてぐみ)
大坂夏の陣で千姫を救った坂崎出羽守はここの藩主でした「津和野藩」
→津和野藩(つわのはん)(島根県津和野町(つわのちょう))
大坂夏の陣により長い戦乱の時代が終わり平和になったこと「元和偃武」
→元和偃武(げんなえんぶ)
織田信長が家臣から選抜して構成したエリート部隊です「黒母衣衆」
→黒母衣衆(くろほろしゅう)
織田信長が焼き打ちしました「延暦寺」
→延暦寺(えんりゃくじ)
織田信長の旗印となった明から輸入された貨幣「永楽銭」
→永楽銭(えいらくせん)
弟・森蘭丸と共に織田信長に仕えた、安土桃山時代の戦国武将「森長可」
→森長可(もりながよし)
甲斐国における忍者の呼称です「透波」
→透波(すっぱ)
加賀国における忍者の呼称です「偸組」
→偸組(ぬすみぐみ)
片倉小十郎と共に伊達政宗の側近として活躍した武将です「伊達成実」
→伊達成実(だてしげざね)
蒲生氏郷が所有していたツバメの尾のような形の兜「燕尾形兜」
→燕尾形兜(えんびなりかぶと)
疑心暗鬼となった主君・尼子義久に殺された家臣「宇山久兼」
→宇山久兼(うやまひさかね)
現在の三重県にあった戦国時代の忍びの里です「伊賀」
→伊賀(いが)
現在の群馬県にあった真田昌幸の沼田城の支城「名胡桃城」
→名胡桃城(なぐるみじょう)
後北条氏と関東の覇権を争った安房の戦国大名です「里見義堯」
→里見義堯(さとみよしたか)
里見氏と後北条氏らが戦った下総の城といえば○○○城?「国府台」
→国府台城(こうのだいじょう)(千葉県市川市)
佐竹氏を戦国大名に成長させた「佐竹氏中興の祖」です「佐竹義舜」
→佐竹義舜(さたけよしきよ)
賤ヶ岳の戦いで、福島正則に討ち取られた戦国武将です。
→拝郷家嘉(はいごういえよし)
島津四勇将と呼ばれた武将の一人です「新納忠元」
→新納忠元(にいろただもと)
主君に殉じて側近が切腹することです「追腹」
→追腹(おいばら)
戦国時代、高知県にあった長宗我部氏の居城「岡豊城」
→岡豊城(おこうじょう)
戦国時代、大将が戦いの指揮を執るため用いたのは「?団扇」?「軍配」
→軍配団扇(ぐんばいうちわ)
戦国時代には南関東に勢力を伸ばした、「○○上杉家」?「扇谷」
→扇谷上杉家(おうぎがやつ)
戦国時代に朝廷の交渉役として活躍した公家です「山科言継」
→山科言継(やましなときつぐ)
戦国時代に使われた元号です「長享」
→長享(ちょうきょう)(1487-1488)
戦国時代に使われた元号です「文亀」
→文亀(ぶんき)(1501-1503)
戦国時代に使われた元号です「永正」
→永正(えいしょう)(1504-1520)
戦国時代に使われた元号です「天文」
→天文(てんぶん)(1532-1555)
戦国時代に活躍した近江近郊の石工職人たちです「穴太衆」
→穴太衆(あのうしゅう)
戦国時代に活躍した越中富山城主「神保長職」
→神保長職(じんぼうながもと)
戦国時代に活躍した軍師です「山本勘助」
→山本勘助(やまもとかんすけ)
戦国時代に栄えた剣の流派柳生新陰流の開祖です「柳生宗厳」
→柳生宗厳(やぎゅうむねよし)
戦国時代に北条家の公用枡を発案し、その別名に名を残す奉行です「安藤良整」
→安藤良整(あんどうよしなり)
戦国時代のようにあまたの英雄が覇を争うこと「群雄割拠」
→群雄割拠(ぐんゆうかっきょ)
戦国時代の紀伊で活躍した鉄砲による武装集団です「雑賀衆」
→雑賀衆(さいかしゅう)
戦国時代の分国法の一つです「塵芥集」
→塵芥集(じんかいしゅう)(伊達氏,171条)
戦国時代の合戦で執られた陣形の一つです「雁行」
→雁行(がんこう)(/字型)
戦国時代の合戦で取られた陣形の一つです「衡軛」
→衡軛(こうやく)(二列縦隊)
戦国時代の合戦で取られた陣形の一つです「鋒矢」
→鋒矢(ほうし)
戦国時代の合戦で用いられた携帯用の食糧です「干飯」
→干飯(かれいい,ほしいい)
戦国時代の発端となったのは「○○の乱」?「応仁」
→応仁(おうにん)
戦国大名・浅井氏の居城だった滋賀県長浜市にあったお城です「小谷城」
→小谷城(おだにじょう)(小谷城の戦い(1573))
戦国武将を表現する時などに使われる残忍な大人物を指す言葉「梟雄」
→梟雄(きょうゆう)
戦国武将・織田信長と結婚し濃姫と名乗った女性です「帰蝶」
→帰蝶(きちょう)
戦国武将・織田信長の生母は○○御前?「土田」
→土田御前(どたごぜん)
戦国武将・伊達政宗に学問を教えた臨済宗の僧は?「虎哉宗乙」
→虎哉宗乙(こさいそういつ)
戦国武将・伊達政宗の正室となった女性です「愛姫」
→愛姫(よしひめ,めごひめ)
戦国武将・徳川家康の生母は○○の方?「於大」
→於大の方(おだいのかた)
戦国武将・北条早雲の別名は「伊勢○○○」?「新九郎」
→伊勢新九郎(しんくろう)
戦国武将・武田信玄が生前住んだ館は○○○○館?「躑躅ヶ崎」
→躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)
大河ドラマ『江』により人気となった日本最古の安産祈願の寺「帯解寺」
→帯解寺(おびとけでら)(奈良県奈良市)
退却する軍の最後尾で追撃に対抗する役割のことです「殿」
→殿(しんがり)
代表作に『三十六歌仙図屏風』がある江戸時代の画家です「土佐光起」
→土佐光起(とさみつおき)
武田信玄の影武者も務めた信玄の弟・信廉の通称「逍遙軒」
→逍遙軒(しょうようけん)(武田信廉,たけだのぶかど)
武田信玄の子・義信を担いで謀反を起こした武田家家臣「飯富虎昌」
→飯富虎昌(おぶとらまさ)
戦いの始まりの合図として放たれた、音を立てる矢です「鏑矢」
→鏑矢(かぶらや)
千葉氏に仕えたとされる戦国時代の軍師です「白井胤治」
→白井胤治(しらいたねはる)
偵察を主な任務とする兵士のことです「斥候」
→斥候(せっこう)
鉄砲が伝来した時の種子島の領主は種子島○○?「時尭」
→種子島時尭(ときたか)
出羽北部を統一し、安東氏の最盛期を築いた戦国武将です「安東愛季」
→安東愛季(あんどうちかすえ)(陸奥国・出羽国)
天下統一を目指した戦国大名です「織田信長」
→織田信長(おだのぶなが)
天下統一を成し遂げた戦国大名です「豊臣秀吉」
→豊臣秀吉(とよとみひでよし)
天下統一を成し遂げた戦国大名です「徳川家康」
→徳川家康(とくがわいえやす)
徳川家康の正室・築山殿の父親であった今川氏の家臣「関口親永」
→関口親永(せきぐちちかなが)
徳川家康の側近として活躍した人物です「本多正信」
→本多正信(ほんだまさのぶ)
徳川家康の息子・松平忠輝と結婚した伊達政宗の娘です「五郎八姫」
→五郎八姫(いろはひめ)
豊臣秀吉が一夜城を作ったと伝えられています「墨俣」
→墨俣(すのまた)
豊臣秀頼と側室・小石の方の間に生まれた娘です「奈阿姫」
→奈阿姫(なあひめ)
長篠の戦いが行われた三河国の地名です「設楽原」
→設楽原(したらはら,したらがはら)
日本初の「軍用犬」を導入した太田道灌の曾孫にあたる武将「太田資正」
→太田資正(おおたすけまさ)
後に淀殿の養女となった秀頼と江の娘です「完子」
→完子(さだこ)(豊臣完子)
後に毛利性に戻った戦国大名・毛利元就の五男「椙杜元秋」
→椙杜元秋(すぎもりもとあき)(毛利元秋)
信長、秀吉の姓にちなむ安土桃山時代の別名です「織豊時代」
→織豊時代(しょくほうじだい)
夫婦仲が良かったといわれている明智光秀の妻「煕子」
→煕子(ひろこ)(妻木煕子,つまきひろこ,明智光秀の2番目の妻)
分国法の塵芥集を制定するなど伊達家の基礎を築いた人物です「伊達稙宗」
→伊達稙宗(だてたねむね)
北条早雲によって討たれた堀越公方・足利政知の子「茶々丸」
→茶々丸(ちゃちゃまる)
北条早雲に攻め滅ぼされた戦国時代初期の武将です「三浦義同」
→三浦義同(みうらよしあつ)
本能寺の変では二条御所で難を逃れた正親町天皇の息子「誠仁親王」
→誠仁親王(さねひとしんのう)
松山藩の初代藩主である織田信長の次男「織田信雄」
→織田信雄(おだのぶかつ,おだのぶお)
毛利氏の陰謀により暗殺された沼田小早川氏の家臣「田坂義詮」
→田坂義詮(たさかよしあき)
毛利元就の孫・毛利輝元を補佐した「四人衆」の一人「口羽通良」
→口羽通良(くちばみちよし)
毛利元就の娘・五龍局を妻に迎えた毛利氏の家臣です「宍戸隆家」
→宍戸隆家(ししどたかいえ)(五龍局,ごりゅうのつぼね)
毛利元就らによって滅ぼされた戦国大名です「陶晴賢」
→陶晴賢(すえはるかた)
毛利元就暗殺を企てたため殺された毛利家の家臣です「渡辺勝」
→渡辺勝(わたなべすぐる)
和田竜の小説『のぼうの城』で主人公として描かれた武将です「→成田長親(なりたながちか)」
→成田長親(なりたながちか)(和田竜,わだりょう,第139回2008年直木賞候補)

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[意味まとめ]
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  1. 2014/05/03(土) 12:52:19|
  2. 戦国時代検定
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戦国時代検定 タイピング

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1516年に北条早雲に攻め込まれ新井城で討ち死にした、相模三浦氏の最後の当主は三浦○○?
→三浦道寸(みうらどうすん)(三浦義同(みうらよしあつ))(三崎城(みさきじょう)=神奈川県三浦市に存在した城。別名・新井城(あらいじょう))
1537年に織田信康が築いた「白帝城」とも呼ばれる名城は○○城?
→犬山城
1550年に武田信玄が村上義清に大敗した戦いのことを一般に「○○崩れ」という?
→砥石崩れ(といしくずれ)
1563年に六角義治が城内で家臣の後藤賢豊を殺害したお家騒動を○○○騒動という?
→観音寺騒動(かんのんじそうどう)
1560年に起こった、大軍を率いる今川義元を少数の織田信長が打ち破った戦いは「○○○の戦い」?
→桶狭間の戦い
1565年に京都の二条御所で松永久秀に暗殺された室町幕府第13代将軍は足利○○?
→足利義輝(あしかがよしてる)(13:1536-1565)(永禄の変)
1566年に徳川家康に改名する直前まで、彼が名乗っていた名前は○○元康?
→松平元康(まつだいらもとやす)
1570年に織田信長が浅井長政、朝倉義景、延暦寺の連合軍と衝突した戦いは「○○の陣」?
→志賀の陣(しがのじん)(滋賀県大津市)(比叡山焼き討ち(1571))
1575年に黒井城の戦いで明智光秀を退け「丹波の赤鬼」と呼ばれた武将は○○直正?
→赤井直正(あかいなおまさ)(黒井城=兵庫県丹波市)
1575年に堺の代官に就任した織田信長の家臣で、茶人としても有名なのは○○有閑?
→松井友閑(まついゆうかん)
1575年の長篠の戦いで織田信長と徳川家康の連合軍に大敗した武田信玄の子は○○?
→武田勝頼
1577年に加賀国で織田信長が上杉謙信に大敗した戦いを「○○川の戦い」という?
→手取川の戦い(てとりがわ)(石川県)
1580年に豊臣秀吉の兵糧攻めにより自害に追い込まれた播磨国・三木城主は○○長治?
→別所長治
1582年に明智光秀を羽柴秀吉が倒した山崎の戦いにおいて舞台になった山は○○山?
→天王山
1582年に武田氏滅亡の舞台となった山梨県甲州市にある山は○○山?
→天目山
1582年に本能寺の変を起こした明智光秀を羽柴秀吉が討った戦いを「○○の戦い」という?
→山崎の戦い
1582年に本能寺で死んだ織田信長の後継者を決めるため開かれた会議は○○会議?
→清洲会議
1582年以来、征服した大名領で行った検地の通称は○○検地?
→太閤検地
1582年豊臣秀吉が備中高松城を水攻めする際に堰きとめた川の名前は○○川?
→足守川(あしもりがわ)
1584年に関白職を羽柴秀吉に譲った安土桃山時代の公卿は○○昭実?
→二条昭実(にじょうあきざね)
1584年に肥後国で起きた、有馬・島津連合軍と龍造寺隆信軍による合戦は「○○畷の戦い」?
→沖田畷の戦い
1592年に肥後国佐敷城を占拠する「梅北一揆」を起こした島津義久の家臣は梅北○○?
→梅北国兼(うめきたくにかね)(佐敷城,さしきじょう,熊本県)
1598年に戦国武将・豊臣秀吉が亡くなった城は○○城?
→伏見城
「あずかりもうす」という意味がある、特に豊臣秀吉を指すことが多い役職は○○?
→関白
「頑固一徹」という言葉を元になったという説もある美濃出身の戦国武将は○○一鉄?
→稲葉一鉄
「三途の川の渡し賃」を意味する戦国時代の武将・真田幸村の用いた旗印は「○文銭」?
→六文銭
「大和大納言」と呼ばれた豊臣秀吉の弟は豊臣○○?
→豊臣秀長(とよとみひでなが)
「山崎の戦い」の際に大和の筒井順慶が日和見をしたとされる峠は?
→洞ヶ峠(ほらがとうげ)(京都府八幡市(やわたし)と大阪府枚方市の境にある峠)
NHK大河ドラマ『武田信玄』では若尾文子が演じた武田信玄の母は○○夫人?
→大井夫人(おおいふじん)
4度目の川中島の戦いで上杉側に啄木鳥戦法を見破られた武田側が敷いたのは○○の陣?
→鶴翼の陣(∨)
明智光秀が本能寺の変の前に連歌会で詠んだ有名な発句は「時は今○が下しる五月哉」?
→時は今 雨が下しる五月哉(かな)(「雨が下しる」「天が下知る」)
浅井・朝倉氏と共に信長包囲網を構築したことで有名な、石山本願寺の第11世門主は○○?
→顕如(けんにょ)
上杉謙信が七尾上で詠んだ漢詩の一節は「霜は軍営に満ちて〇〇清し」?(大意)(タイピング?)
→霜は軍営に満ちて秋気清し(しゅうききよし)
上杉謙信と武田信玄による犀川と千曲川の合流点での有名な戦いは「○○島の戦い」?
→川中島の戦い
上杉謙信の急死後、その家督をめぐって上杉景勝と上杉景虎の間で起こった内乱を○○の乱という?
→御館の乱(おたてのらん)(1578)
上田原の戦い、砥石崩れと武田信玄に2度も大勝した戦国武将は○○義清?
→村上義清(むらかみよしきよ)
牛に乗り安価で薬を売り歩いたという戦国時代の名医で、製薬会社の名前にもなったのは永田○○?
→永田徳本(ながたとくほん)
応仁の乱には西軍に参加している山口を文化都市として発展させた周防の守護大名は○○政弘?
→大内政弘(おおうちまさひろ)
桶狭間の戦いで今川義元の首を取り、のちに黒母衣衆の一人となった信長の家臣は○○新助?
→毛利新助(もうりしんすけ)(=毛利良勝よしかつ)
織田信長が、桶狭間の戦いの前夜に踊ったとされる幸若舞の演目は『○○』?
→敦盛(あつもり)(幸若舞,こうわかまい)
織田信長が安土城を築いた際その城内に建てられた臨済宗の寺は○○寺?
→総見寺(そうけんじ)(滋賀県近江八幡市)
織田信長が浅井長政の裏切りにあい、命からがら逃げ延びた戦いは「○○○の退き口」?
→金ヶ崎の退き口(かねがさきののきくち)(金ヶ崎の戦い)
織田信長が朝倉義景を倒した後その髑髏に施した、漆を塗り金粉を塗る加工を○○という?
→箔濃(はくだみ)(髑髏,どくろ)
織田信長に京都から追放された室町幕府の第15代将軍は足利○○?
→足利義昭(あしかがよしあき)(15:1568-1588)
小田原攻めの後、秀吉が関東以北の大名に改易や減封、所領安堵を行ったことを奥州○○という?
→奥州仕置(おうしゅうしおき)
温厚な性格から「仏の茂助」とも呼ばれた、豊臣三中老のひとりは○○吉晴?
→堀尾吉晴(ほりおよしはる)(生駒親正,中村一氏)
甲斐国の戦国武将・武田信玄が1559年に出家し「信玄」と号する直前まで名乗っていた名は○○?
→武田晴信(たけだはるのぶ)
具足羽織、押し羽織とも呼ぶ戦国時代に武将が鎧の上に着た羽織を一般に○羽織という?
→陣羽織(じんばおり)
号は「天徳寺了伯」といった槍の名手としても知られる下野の唐沢山城主は佐野○○?
→佐野房綱(さのふさつな)(栃木県佐野市)
真田昌幸により築城され、二度にわたる徳川軍の攻撃を撃退した現在の長野県にあったお城は?
→上田城
島津歳久や千利休の首がさらされた、京都にある橋の名前は一条○○?
→一条戻橋(いちじょうもどりばし)
上部ほど急勾配になる熊本城などで特徴的な石垣の組み方は○○返し?
→武者返し
信仰を理由に、1597年に長崎で処刑されたカトリック信徒の総称は「日本○○○聖人」?
→日本26聖人
関ヶ原の戦いで毛利輝元を西軍の総大将にするように暗躍した毛利氏の外交僧は安国寺○○?
→安国寺恵瓊(あんこくじえけい)
関ヶ原の戦いにおける西軍の総大将は毛利○○?
→毛利輝元(もうりてるもと)
関ヶ原の戦いにもはるばる参加した、弘前藩の初代藩主といえば津軽○○?
→津軽為信(つがるためのぶ)
関ヶ原の戦いにおいて山内一豊が徳川家康に提供した居城は○○城?
→掛川城(静岡県掛川市)(関ヶ原の戦いの後、山内一豊は土佐一国を与えられて高知城に移転した)
戦国時代、城を攻める際などに用いられた、敵の食糧補給路を断つ作戦を「○○攻め」という?
→兵糧攻め
戦国時代、戦場で所属を示すために用いられた、軍旗や飾りを総称して「○○物」という?
→旗指物(はたさしもの)
戦国時代などで行われていた戦場で討ち取った敵の首を大将が見て確認する作業は「首○○」?
→首実検
戦国時代に「茶湯の三大宗匠」と呼ばれた茶人は千利休、今井宗久と○○宗及?
→津田宗及
戦国時代に因島など芸予諸島を中心に活躍し、瀬戸内海を制圧した勢力は○○水軍?
→村上水軍 (水軍,海賊衆)
戦国時代に行われた、日本とスペイン・ポルトガルの商人の間で行われた貿易は○○貿易?
→南蛮貿易
戦国時代の英雄・豊臣秀吉の一生を記した伝記のことを一般に『○○記』という?
→太閤記
戦国時代の河内の商人で、私財を投じて大阪城横に堀削した有名な運河に名を残すのは○○道頓?
→安井道頓(やすいどうとん)
戦国時代の剣豪で、巌流島での宮本武蔵との決闘で知られるのは○○○小次郎?
→佐々木小次郎
戦国時代の日本各地の様子を記録した著書『日本史』で知られるイエズス会の宣教師はルイス・○○○○?
→ルイス・フロイス(Luis Frois)(葡萄牙)
戦国時代の武将・武田信玄の有名な言葉は「人は城、人は○○、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」?
→人は城、人は石垣、人は堀
戦国時代の武将・森可成の三男で織田信長の小姓となり、寵愛を受けたとされるのは森○○?
→森蘭丸(もりらんまる)(森成利,もりなりとし)(森可成,もりよしなり)
戦国時代の有名な狂歌といえば「三成に過ぎたるものが二つあり島の○○に佐和山の城」?
→島の左近に佐和山の城 (島清興(しまきよおき)=石田三成の家臣。通称、島左近)(佐和山城=滋賀県彦根市)
戦国大名が、支配地域の統治のために定めた法律を総称して「○○法」という?
→分国法
戦国大名として独立し、毛利氏を支配下に置くなど一代で尼子氏最盛期を築いたのは尼子○○?
→尼子経久(あまごつねひさ)
戦国武将・井伊直盛の娘で女性ながら井伊氏の当主となったのは井伊○○?
→井伊直虎(いいなおとら)
戦国武将・織田信長の四男で羽柴秀吉の養子となるも18歳で病死したのは羽柴○○?
→羽柴秀勝(はしばひでかつ)(秀吉が主導して行った信長の葬儀では秀勝が喪主を務めた)
戦国武将・織田信長の生涯を描き、大ベストセラーになった津本陽の小説は『○○は夢か』?
→下天は夢か
戦国武将・斎藤道三の娘で織田信長の正室となったのは○姫?
→濃姫(のうひめ)(帰蝶,きちょう)
戦国武将・武田信玄の嫡男で謀反を起こして1567年に自害させられたのは武田○○?
→武田義信(たけだよしのぶ)
戦国武将・伊達正宗の軍師として生涯使えた武将は○○小十郎?
→片倉小十郎(片倉景綱)
戦国武将・伊達政宗を題材とした1987年放送のNHK大河ドラマは『○○○政宗』?
→独眼竜政宗
戦国武将・立花道雪の娘で女性ながら立花家の当主となったことで有名なのは立花○千代?
→立花誾千代(ぎんちよ)
戦国武将・豊臣秀吉の妹で1586年に徳川家康の正室となったのは○○姫?
→朝日姫 (正室(継室)、継室とは後妻のこと)(正室:築山殿→継室:朝日姫)
戦国武将の織田信長に仕えていたとされる黒人の家来の名前は○○?
→弥助(やすけ)
創始者の桃井直詮の幼名がつけられた、織田信長が好んだことで有名な舞は「○○舞」?
→幸若舞(こうわかまい)(桃井直詮,もものいなおあきら)
武田勝頼と内通したという罪で織田信長に切腹させられた徳川家康の長男は松平○○?
→松平信康(まつだいらのぶやす)
竹中半兵衛が若い頃に、わずか17人で占拠したことで知られる斎藤龍興の居城は○○○城?
→稲葉山城
竹中半兵衛と共に「二兵衛」と並び称された豊臣秀吉の軍師は○○官兵衛?
→黒田官兵衛
例えわずかなお金でも盗んだ者は死罪にする、戦国時代に行われた刑罰は「○○○○」?
→一銭切り(いっせんぎり)
長宗我部元親の家臣であった僧侶で、家中で絶大な権力を握ったのは滝本寺○○?
→滝本寺非有(たきもとじひゆう)
著書『兼見卿記』で有名な戦国時代の京都の神道家は○○兼見?
→吉田兼見(よしだかねみ)(神道=日本の宗教)
敵軍の領地の田畑に侵入し農作物を奪って兵糧とする行為のことを○○狼藉という?
→刈田狼藉
鉄甲船を建造して水軍を率い「海賊大名」と呼ばれた、信長と秀吉に仕えた大名は○○嘉隆?
→九鬼嘉隆(くきよしたか)(九鬼氏=紀伊国・志摩国)
豊臣秀吉が石山本願寺の跡に築いた城といえば○○城?
→大阪城
豊臣秀吉と淀殿の次男で、秀吉の後継者となるも大阪夏の陣で淀殿と自害したのは豊臣○○?
→豊臣秀頼
豊臣秀頼と側室・和期の方の間に生まれた子供で、大坂夏の陣の後に8歳で斬首されたのは○松?
→豊臣国松(くにまつ)
豊臣秀吉の姉の子で、秀吉の養子となるも、1595年に秀吉の命で切腹したのは豊臣○○?
→豊臣秀次(とよとみひでつぐ)(若き日の名は三好信吉/八幡山城を築城/小牧・長久手の戦いで大敗/「殺生関白」→豊臣秀次)
豊臣秀吉の側室・淀殿は浅井○○の娘?
→浅井長政 (淀殿=浅井茶々=浅井長政とお市。織田信長の姪)
二丁の火縄銃を購入した戦国武将・種子島時尭が、その複製を命じた島の刀鍛冶職人は○○金兵衛?
→八板金兵衛(やいたきんべえ)(種子島時尭,たねがしまときたか)
常陸の太田城主で「鬼義重」と怖れられたのは○○義重?
→佐竹義重(さたけよししげ)(茨城県常陸太田市)
別名を「金亀城」「勝山城」ともいう、加藤嘉明が築城を始めた城は○○城?
→松山城 (愛媛県松山市)
秀吉に「豊臣」の姓を与え家康を征夷大将軍に任じた第107代天皇は○○○天皇?
→後陽成天皇(107:1586-1611)(正親町天皇,106:1557-1586)
秀吉政権下において、太閤検地が実施された時より公定枡として使われたのは「○枡」?
→京枡(きょうます)
日向に攻め込んだ大友宗麟軍を島津義久軍が迎え撃った1578年の合戦は「○川の戦い」?
→耳川の戦い(みみかわ)(1578)(大友軍の大敗)
北条家の諜報活動を担当したとされる、箱根を根城に活動した忍者団の頭領は○○小太郎?
→風魔小太郎(ふうまこたろう)
北条早雲に奇襲攻撃を受け小田原城を奪われてしまった戦国武将は○○藤頼?
→大森藤頼(おおもりふじより)(扇谷上杉家家臣。相模国小田原城城主。北条早雲が友好関係を装い藤頼に接近し油断した藤頼が兵の奇襲を受けたといわれる)
本能寺の変の直後、羽柴秀吉が毛利氏と和平を結び、京都に移動したことを○○大返しという?
→中国大返し(ちゅうごくおおがえし)(備中大返し,びっちゅうおおがえし)
幼少期の豊臣秀吉が蜂須賀小六と出遭った伝説で知られる三河国の橋は○○橋?
→矢作川(やはぎがわ)
幼少期の豊臣秀吉をを矢作橋で助けた伝説でも有名な、秀吉の家臣は○○○小六?
→蜂須賀小六(はちすかころく)(蜂須賀正勝)
米沢藩士の教育を図るために上杉景勝の家臣・直江兼続が創設した学館は○○文庫?
→禅林文庫
織田信長が1576年に築城したこの城の名前は?(タイピング)(画像)
→安土城
仲代達矢がこの人物を演じた黒澤明監督の映画は?(画像)(武田信玄)
→影武者 (仲代達矢,なかだいたつや)

織田信長の妹で、浅井長政の妻といえばお○の方?ですが、
→お市の方
織田信長の妹で、細川昭元の妻といえばお○の方?
→お犬の方
戦国時代から江戸時代にかけてスペイン人やポルトガル人は○○人と呼ばれた?ですが、
→南蛮人
戦国時代から江戸時代にかけてオランダ人やイギリス人は○○人と呼ばれた?
→紅毛人
戦国時代の幕開けともいえる1467年の応仁の乱で、西軍の総大将だったのは○○宗全?ですが、
→山名宗全
戦国時代の幕開けともいえる1467年の応仁の乱で、東軍の総大将だったのは○○勝元?
→細川勝元
戦国武将・豊臣秀吉の幼名は○○丸?ですが、
→日吉丸
戦国武将・伊達政宗の幼名は○○丸?ですが、
→梵天丸
戦国武将・徳川家康の幼名は○○○?
→竹千代
戦国武将・上杉謙信の幼名は○○○?
→虎千代
天正遣欧少年施設を送ったキリシタン大名で大友宗麟の洗礼名は○○○○○○?ですが、
→フランシスコ (豊後)
天正遣欧少年施設を送ったキリシタン大名で大村純忠の洗礼名は○○○○○○?
→バルトロメオ (肥前)
豊臣秀吉が行った朝鮮半島への出兵で、1592年に開始されたのは「○○の役」?ですが、
→文禄の役
豊臣秀吉が行った朝鮮半島への出兵で、1598年に開始されたのは「○○の役」?
→慶長の役
1585年に四国全土の統一を成し遂げた戦国武将は長宗我部○○?ですが、
→長宗我部元親(もとちか)
1587年に戸次川の戦いにおいて戦死した嫡男は長宗我部○○?
→長宗我部信親(のぶちか)
足利成氏を初代とする室町後期から戦国時代にかけて存在した関東足利氏は○○公方?ですが、
→古河公方(こがくぼう)
第2代古河公方・足利政氏の子足利義明が自称して古河公方と対立したのは○○公方?
→小弓公方(おゆみくぼう)

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[意味まとめ]
「大和大納言」と呼ばれた豊臣秀吉の弟は豊臣○○?
→豊臣秀長(とよとみひでなが)
豊臣秀吉と淀殿の次男で、秀吉の後継者となるも大阪夏の陣で淀殿と自害したのは豊臣○○?
→豊臣秀頼
豊臣秀吉の姉の子で、秀吉の養子となるも、1595年に秀吉の命で切腹したのは豊臣○○?
→豊臣秀次(とよとみひでつぐ)(若き日の名は三好信吉/八幡山城を築城/小牧・長久手の戦いで大敗/「殺生関白」→豊臣秀次)

関ヶ原の戦いへ向かう徳川秀忠の軍を、信濃の上田城で足止めしたことで知られる戦国の世を代表する知将は?(スロット)
→真田昌幸(さなだまさゆき)
上田藩、松代藩の初代藩主となった安土桃山時代の武将は真田○○?
→真田信之(さなだのぶゆき)(真田昌幸の長男)
真田昌幸により築城され、二度にわたる徳川軍の攻撃を撃退した現在の長野県にあったお城は?
→上田城
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  1. 2014/05/03(土) 12:29:08|
  2. 戦国時代検定
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戦国時代検定 スロット

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1437年に関東管領の上杉憲実と対立する鎌倉公方・足利持氏の討伐を、当時の将軍・足利義教が命じた事件を○○の乱という?
→永享の乱(えいきょう)
1441年に赤松満祐が、室町幕府第6代将軍・足利義政を暗殺したことに端を発する騒乱のことを○○の乱という?
→嘉吉の乱(かきつ)
1455年に鎌倉公方・足利成氏が関東管領・上杉憲忠を暗殺した事件に端を発する、関東地方の内乱を「○○の乱」という?
→享徳の乱(きょうとく)(足利成氏,あしかがしげうじ)(上杉憲忠,うえすぎのりただ)
1458年から翌年にかけて越前守護代・甲斐常治と越前守護・斯波義敏の間に起きた争いを○○合戦という?
→長禄合戦(ちょうろく)
1487年から1505年にかけて山内上杉家の上杉顕定と扇谷上杉家の上杉定正の間に起きた争いを○○の乱という?
→長享の乱(ちょうきょう)
1493年に細川政元が室町幕府将軍・足利義材を追放し、清晃(義澄)を将軍に擁立したクーデターを「○○の政変」という?[足利義材(10:1490-1493,足利義稙11.5:1508-1521)(畠山政長)][足利義澄(11:1494-1508)(細川政元)]
→明応の政変 (細川政元の働きかけで足利義澄を11代将軍として擁立し、10代将軍・足利義材の廃立を宣言するクーデターを決行し足利義材を幽閉した。細川政元は管領となり主導権を掌握した)
1507年の細川政元暗殺事件に端を発する、室町幕府管領・細川京兆家で起きた内乱を「○○の錯乱」と言う?
→永正の錯乱(えいしょう)
1517年今川義元が還俗して家督を継ごうとした際に、福島氏が擁立した玄広恵探が対抗して挙兵した事件を「○○の乱」という?
→花倉の乱(はなくら)(今川氏のお家騒動)(玄広恵探,げんこうえたん)(「花倉」とは静岡県藤枝市の地名)(還俗=僧侶になった者が俗人に戻ること)
1535年に起きた、徳川家康の祖父である松平清康が側近の阿部弥七郎に殺害された事件を通称「○○崩れ」という?
→守山崩れ (森山崩れ)(徳川家康の父は松平広忠)
1542年と1548年の2度に渡り、松平広忠・今川義元連合軍と織田信秀の間で行われた戦いは「○○○の戦い」?
→小豆坂の戦い(あずきざか)
1547年に織田信秀が斎藤道三に敗れ、その後信秀の嫡男・信長と道三の娘・帰蝶が結婚して和睦を結んだのは「○○○の戦い」?
→加納口の戦い(かのうくち)(織田信秀=織田信長の父)(帰蝶(きちょう)=濃姫)
1549年に細川晴元の家臣である三好長慶が、政敵である同族の三好政長を破った戦いは「○○の戦い」?
→江口の戦い(えぐち)(大阪府大阪市東淀川区にある摂津国の江口城)
1550年に武田信玄が村上義清に歴史的な大敗を喫した戦いを舞台となったお城の名前から「○○崩れ」という?
→砥石崩れ (戸石城,砥石城,長野県上田市)(戸石城の攻防戦)
1551年に周防の戦国大名である大内義隆が、家臣・陶隆房(晴賢)の謀反に遭い自害したことを「○○寺の変」という?
→大寧寺の変(だいねいじ)(陶隆房,すえたかふさ)
1555年に能登畠山家の実権を取り戻すため、畠山義綱が畠山七人衆の温井総貞を暗殺したことに端を発する内乱を○○の内乱という?
→弘治の内乱(こうじ)(畠山義綱,はたけやまよしつな)(温井総貞,ぬくいふささだ)
1556年に現在の島根県大田市で起きた、宍戸隆家率いる毛利軍が尼子軍に敗れた戦いを「○○崩れ」という?
→忍原崩れ(おしばらくずれ)(島根県大田市)(尼子軍が勝利し石見銀山を掌握。毛利軍敗北)
1556年に来日したイエズス会の宣教師で、『耶蘇会士日本通信』で日本の様子を紹介したのはガスパル・○○○○?
→ガスパル・ヴィレラ(Gaspar Vilela)
1568年に本庄繁長との戦いで死んだ上杉謙信の家臣で、4度目の川中島の戦いでは、謙信から血染めの感状を贈られたのは?
→色部勝長(いろべかつなが)(本庄繁長,ほんじょうしげなが,上杉氏の重臣)
1559年に石見銀山を巡って毛利元就率いる毛利軍が尼子軍に大敗した戦いを「○○○の戦い」という?
→降露坂の戦い(ごうろざか)(尼子軍が勝利し石見銀山の支配を維持)
1560年に浅井長政が六角義賢を破った戦いで、浅井氏が六角氏から独立する契機となったのは○○○の戦い?
→野良田の戦い(のらだ)(滋賀県彦根市)
1565年に室町幕府第13代将軍足利義輝が、京都の二条御所で三好三人衆と松永久秀らに暗殺された事件は「○○の変」?
→永禄の変(1565)(東大寺大仏殿の戦いで大仏炎上)
1566年に千葉氏の家臣である原胤貞に、上杉謙信率いる軍勢が敗れた戦いのことを○○城の戦いという?
→臼井城の戦い(うすいじょう)(千葉県)(原胤貞,はらたねさだ)
1570年に龍造寺隆信のわずかな軍勢が、大友宗麟率いる大軍に奇襲攻撃をかけ勝利した戦いを「○○の戦い」という?
→今山の戦い (佐賀県佐賀市)(豊後の戦国大名・大友宗麟軍と肥前の戦国大名・龍造寺隆信軍との戦い)
1571年に織田信長が焼き討ちした寺は○○寺?
→延暦寺
1572年に信長包囲網を解いて撤退した朝倉義景に対し武田信玄が送った抗議の書状を記した文書を○○文書という?(スロット?)
→伊能文書
1572年に伊東義祐の大軍が島津義弘のわずかな軍勢に日向国で敗れた戦いを「○○○の戦い」という?
→木崎原の戦い(きざきばる)(伊東義祐,いとうよしすけ,日向)
1573年に室町幕府最後の将軍・足利義昭が挙兵して織田信長に挑むも、敗れて京都から追放された戦いは「○○城の戦い」?
→槇島城の戦い(まきしまじょう)
1573年に信長に京都を追放された室町幕府将軍・足利義昭が入城した、現在の大阪府東大阪市にあった三好義継の居城は○○城?
→槇島城(まきしまじょう)
1577年に上杉謙信に包囲され内乱を起こし、長綱連を討った遊佐続光の手で開城された能登畠山氏の居城は○○城?
→七尾城(ななおじょう)(石川県七尾市)(長続連,ちょうつぐつら)(七尾城の戦い(1576)=能登畠山氏の滅亡)
1577年に織田信長に対して謀反を起こした松永久秀が籠城の末に自害して果てたお城は○○○城?
→信貴山城 (信貴山城の戦い(1577))
1578年に九鬼嘉隆と滝川一益の水軍が、石山本願寺の援軍である毛利水軍を打ち破った戦いを「○○川口の戦い」という?
→木津川口の戦い(きづがわぐち)(織田水軍の勝利、石山本願寺の完全封鎖)(石山合戦(1570-1580)=第一次木津川口の戦い(1576),第二次木津川口の戦い(1578),等)
1578年に播磨国で毛利輝元軍と尼子勝久・羽柴秀吉・山中幸盛連合軍が衝突した戦いのことを「○○城の戦い」という?
→上月城の戦い(こうづきじょう)(兵庫県)(毛利軍の勝利、尼子氏滅亡)
1581年に羽柴秀吉と対戦した吉川元春が、背水の陣を敷くために橋を落としたという鳥取県の河は○○川?
→橋津川(はしづがわ)(吉川元春(きっかわもとはる)=毛利元春)
1582年に、九州の戦国大名らがローマ教皇の元に派遣した4人の少年を中心とした使節団は「○○遣欧少年使節」?
→天正遣欧少年使節
1582年に賤ヶ岳の合戦で羽柴秀吉に敗れた柴田勝家が妻・お市の方と共に火を放って自害したお城は○○城?
→北庄城(北ノ庄城,きたのしょうじょう)
1582年の「本能寺の変」でこの世を去ったと伝えられる戦国時代の武将は?
→織田信長
1582年の武田氏討伐の際に織田信長が焼き討ちし、寺の和尚・快川紹喜が亡くなった寺は○○寺?
→恵林寺(山梨県甲州市)
1584年に現在の長崎県で有馬晴信・島津家久の連合軍が龍造寺隆信と衝突した戦いを「○○畷の戦い」という?
→沖田畷の戦い (有馬・島津連合軍の勝利)
1585年に伊達政宗の父である伊達輝宗を拉致して二本松城へ連れ去ろうとする途中、輝宗もろとも射殺された武将は?
→畠山義継(はたけやまよしつぐ)(伊達輝宗,だててるむね)(二本松城(福島県二本松市))
1586年に父・輝宗の弔い合戦として畠山氏を攻めた伊達政宗と畠山氏を援護する佐竹氏、蘆名氏との戦いを「○○橋の戦い」という?
→人取橋の戦い(ひととりばし)(福島県本宮市)(蘆名氏(あしな))(1585年に伊達政宗の父である伊達輝宗を拉致して二本松城へ連れ去ろうとする途中、輝宗もろとも射殺された武将は?→畠山義継(二本松城(福島県二本松市))
1586年に島津忠長率いる島津軍が大友氏の家臣・高橋紹運を倒した、九州における戦いを「○○城の戦い」という?
→岩屋城の戦い(いわやじょう)(福岡県太宰府市)(島津軍の勝利、高橋紹運自害)
1586年に豊臣姓を賜る直前まで秀吉が名乗っていた苗字は?
→羽柴
1587年に豊臣秀吉が京都で開催した、約1000人を集めた盛大な茶会は「○○大茶会」?
→北野大茶会
1587年に長宗我部元親、仙石秀久ら秀吉の軍勢が島津家久に大敗した戦いを「○○川の戦い」という?
→戸次川の戦い(へつぎがわ)(島津軍の豊後府内平定、豊臣軍の大敗)
1587年に九州征伐を開始した豊臣秀吉軍と島津義久軍が日向国で激突した戦いを「○○○の戦い」という?
→根白坂の戦い(ねじろざか)(沖田綴→戸次川→根白坂)
1589年に伊達政宗が秀吉配下の蘆名義広の軍勢を打ち破り、奥州制覇をほぼ成し遂げた戦いを「○○○の戦い」という?
→摺上原の戦い(すりあげはら)(蘆名義広,あしなよしひろ)
1589年の小田原征伐において豊臣方に内通しようとした北条氏直の家臣で、その翌年秀吉に切腹を言い渡されたのは?
→松田憲秀(まつだのりひで)
1590年の小田原征伐の際に秀吉が笠懸山山頂にまるで一夜でできたかのように築いたお城は○○○城?
→石垣山城(神奈川県小田原市)(笠懸山(かさがけやま))(小田原城から見えないように築き、完成後に周囲の木を伐採したため、北条氏側に一夜にして築城されたかのように見せて驚かせ戦闘意欲を失わせる効果を果たした。80日で構築)
1598年に豊臣秀吉が京都で開催した、約1300人を集めた盛大な花見の宴は「○○の花見」?
→醍醐の花見
1599年関ヶ原の戦いの直前に起きた、島津氏とその家臣・伊集院氏との間で起きたお家騒動を「○○の乱」という?
→庄内の乱(宮崎県都城市)(関ヶ原の戦い直前の大乱であり島津氏が関ヶ原の戦いに大軍を送れなかった原因になったともいわれている)
1615年の「大坂夏の陣」に敗れて自害した、戦国武将・豊臣秀吉の息子は豊臣○○?
→豊臣秀頼
1615年の大坂夏の陣の際に豊臣方の指揮官を務め最後は豊臣秀頼の介錯を行い自らも自害した武将は誰?
→毛利勝永(もうりかつなが)(介錯(かいしゃく)=腹部を切開しただけでは人は即死しない。本人を即死させてその負担と苦痛を軽減するため介助者が背後から切腹人の首を刀で斬る行為)
「勝って兜の緒を締めよ」という言葉を遺したという後北条氏の2代目当主である武将は北条○○?
→北条氏綱(ほうじょううじつな)
「結論の出ない会議」のたとえに使われる、後北条家の重臣達がその居城で行った話し合いは○○○評定?
→小田原評定
「諏訪御寮人」と称された武田信玄の側室の大河ドラマ『風林火山』における名前といえば○○姫?
→由布姫(諏訪御料人(すわごりょうにん)=武田信玄の側室で武田勝頼の母)
「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」とお家再興を月に祈ったという逸話で有名な出雲の大名・尼子氏の家臣は?
→山中幸盛(山中鹿介幸盛,やまなかしかのすけゆきもり)
「武者は犬ともいえ畜生ともいえ、勝つことが本にて候」という名言で知られる、越前の名将は?
→朝倉宗滴(あさくらそうてき)(=朝倉教景(のりかげ))
16世紀に小山田氏の居城となった山梨県にあったお城で、岩山に建てられた堅守の城として有名なのは○○○城?
→岩殿山城(いわどのやまじょう)
その居城の完成を祝ったことが阿波踊りの起源をなしたという説がある、徳島藩の祖である武将は蜂須賀○○?
→蜂須賀家政(はちすかいえまさ)
その戦場での勇猛果敢ぶりから「夜叉九郎」の異名で呼ばれた出羽角館城主で、1590年に小田原征伐参陣中に病死したのは○○○○?(大意)
→戸沢盛安(とざわもりやす)(夜叉九郎,やしゃくろう)(角館=秋田県仙北市)
よく似た僧侶・木阿弥を身代わりに立て、その死を3年伏せさせたことから「元の木阿弥」という故事の元になった戦国武将は?
→筒井順昭(つついじゅんしょう)(息子は筒井順慶)
足利義政の治世の1467年に全国を巻き込んで始まった戦国時代の幕開けとなった争いを「○○の乱」という?
→応仁の乱
足利義昭追放後に京都所司代を務めた織田信長の家臣で本能寺の変では織田信忠と共に二条御所で戦死したのは誰?
→村井貞勝(むらいさだかつ)(織田信忠=織田信長の嫡男)
安土桃山時代の武将・石田三成を評した有名な言葉は「三成に過ぎたるもの二つあり、島の左近と○○○城」?
→佐和山城
安房の戦国大名・里見義堯の家臣で、槍の名手であったことから「槍大膳」という異名で呼ばれたのは?
→正木時茂(まさきときしげ)(里見義堯,さとみよしたか,千葉県安房国(あわ))
妹の竜子は武田元明の妻から豊臣秀吉の側室となり松の丸殿と称した、若狭国小浜藩の初代藩主である戦国武将は?
→京極高次 (京極竜子(たつこ)=寿芳院(じゅほういん))
援軍の北条氏康が少数で奇襲攻撃をかけたことで有名な、1545年の川越城の戦いで、川越城に篭城していた武将は?
→北条綱成(ほうじょうつなしげ)(河越城の戦い-1546=半年余りを籠城戦で耐え抜いた上に本軍と呼応して出撃し敵を突き崩すなど北条軍の大逆転勝利に大功を立てた)
応仁の乱には西軍に参加している山口を文化都市として発展させた周防の守護大名は○○政弘?
→大内政弘(おおうちまさひろ)
近江国・観音寺城の城主で、浅井氏と攻防を繰り広げるが1568年に織田信長の上洛軍に敗れ甲賀に逃げたのは?
→六角義賢(ろっかくよしかた)(観音寺城の戦い(1568))
大坂冬の陣では徳川家康が、大坂夏の陣では真田幸村が陣城として使用した、別名を茶臼山陣城という城は○○城?
→大塚城(おおつかじょう)(大阪市天王寺区)
大坂夏の陣で、自身の切腹と引き換えに秀頼と淀殿の助命を願うも受け入れられず、殉じて自害した豊臣家の家臣は?
→大野治長(おおのはるなが)
織田信長、柴田勝家、豊臣秀吉に仕えた戦国武将で、歴史書『中古日本治乱記』を著したことで知られるのは?
→山中長俊(やまなかながとし)
織田信長からは「鳥なき島のこうもり」と評された四国全土の統一で知られる土佐の戦国大名は?
→長宗我部元親
織田信長と対立して京都から追放された室町幕府の最後の将軍は足利○○?
→足利義昭(あしかがよしあき)(15:1568-1588)
織田信長による恵林寺焼き討ちに会ったとき、「心頭滅却すれば火もまた涼し」という言葉を残した臨済宗の僧侶は?
→快川紹喜
織田信長に重用され、右筆として書記や交渉役を務めた家臣は○○○○?(大意)
→武井夕庵(たけいゆうあん)[右筆(ゆうひつ)=中世・近世に置かれた武家の秘書役を行う文官のこと。文章の代筆が本来の職務であったが、時代が進むにつれて公文書や記録の作成などを行い、事務官僚としての役目を担うようになった]
織田信長の弟・織田信興が、1570年に伊勢長島で一向一揆の軍に攻められて自害した城は○○○城?
→古木江城(こきえじょう)(織田信興,おだのぶおき)(伊勢長島=伊勢(三重県)の長島藩)
織田信長の弟・織田信行が亡くなった城は○○城?(大意)
→清洲城(きよすじょう)(愛知県清須市)(織田信行(おだのぶゆき)=父は織田信秀で母は土田御前で織田信長の同父母で弟)
織田信長の妹・お犬の方の息子でお市の方の娘・江と結婚するも豊臣秀吉と対立したため離縁させられてしまったのは?
→佐治一成(さじかずなり)
織田信長の死後の1582年に関東地方で織田家家臣の滝川一益と北条氏直が争った戦いを「○○川の戦い」という?
→神流川の戦い(かんながわ)(滝川軍の大敗。戦国時代を通じて関東地方でもっとも大きな野戦とも言われている)
甲斐国の戦国大名・武田信玄が1547年に定めた分国法は「甲州法度之○○」?
→甲州法度之次第
後陽成天皇をここに迎え、諸大名に自らの忠誠を誓わせている1586年に豊臣秀吉が平安宮内裏の跡地に築かせた城郭は?
→聚楽第
実在の戦国武将・三好政康がモデルの真田幸村に仕えたとされる「真田十勇士」の一人は三好○○入道?
→三好青海入道 (父・三好政長、三好三人衆=三好長逸・三好政康・岩成友通)
実在の戦国武将・三好政勝がモデルの真田幸村に仕えたとされる「真田十勇士」の一人は三好○○入道?
→三好伊三入道 (父・三好政長、兄・三好政康)
柴田勝家が六角義賢と戦った際にここに篭城し、最後の水を貯めた瓶を割って叱咤したという滋賀県にあった城は○○○城?
→長光寺城(瓶割城,かめわりじょう)(六角義賢,ろっかくよしかた)(叱咤,しった)
小説などでは蹴鞠や和歌に夢中になった愚か者として描かれることが多い今川義元の後継ぎは今川○○?
→今川氏真(いまがわうじざね)
城の表側の門のことを○○門という?
→大手門
城の裏側の門のことを○○門という?
→搦手門
信玄の軍師・山本勘助ら多くの武将が信仰した光や陽炎が神格化した神は?
→摩利支天(まりしてん)
関ヶ原の戦いで、敵となった舅の真田昌幸が沼田城に立ち寄った際入城を拒否したことで有名な、真田信幸の妻は○○姫?
→小松姫(こまつひめ,稲姫)(舅,姑,しゅうと,夫または妻の父)(近隣の正覚寺で休息を取っているところへ小松姫は子供を連れて現れ昌幸の願いをかなえた)
関ヶ原の戦いでは毛利家の存続をはかって西軍から東軍に寝返った岩国藩の初代当主といえば?
→吉川広家(きっかわひろいえ)
関ヶ原の戦いの直前、上杉景勝の討伐に向かう途中に石田三成挙兵を聞いた徳川家康が諸将を集めて開いた軍議を○○会議という?
→小山会議(おやまかいぎ)
関ヶ原の戦いへ向かう徳川秀忠の軍を、信濃の上田城で足止めしたことで知られる戦国の世を代表する知将は?
→真田昌幸(さなだまさゆき)
戦国時代に活躍した畠山七人衆の一人であった能登畠山家の家老で、長一族を全滅させ上杉謙信と手を結び能登を支配したのは?
→遊佐続光(ゆさつぐみつ)(長続連,ちょうつぐつら)
戦国時代に出雲の戦国大名・尼子氏の中心勢力となった、尼子経久の次男・尼子国久が率いた精鋭部隊は○○党?
→新宮党(しんぐうとう)
戦国時代に北条氏と手を結んだ武田信玄の侵攻から上野国を守り抜いた、山内上杉家に属していた箕輪城主の武将は?
→長野業正(ながのなりまさ)(箕輪城,みのわじょう,群馬県高崎市)(上野国,こうずけのくに,群馬県)
戦国時代の合戦の後に起きた兵士が人や物を掠奪した行為のことを「○○取り」という?
→乱妨取り(らんぼうどり)(略奪,掠奪,りゃくだつ)
戦国時代の武将・上杉謙信が用いた、各部隊を放射状に配置し風車のように回転しながら攻撃する戦法は「○○○の陣」?
→車懸りの陣
戦国時代の武将・真田幸村の生前の呼び名は真田○○?
→真田信繁(さなだのぶしげ)
戦国時代の武将・毛利元就の幼名は「○○丸」?
→松寿丸(しょうじゅまる)
戦国時代を知る上での第一級史料として名高い『言経卿記』の著者は○○言経?
→山科言経(やましなときつね)(言経卿記,ときつねきょうき)
戦国時代を知る上での第一級史料として名高い『駒井日記』の著者は駒井○○?
→駒井重勝(こまいしげかつ)
戦国時代末期の1560年に織田信長がわずかな軍勢で今川義元を打ち破った戦いを「○○○の戦い」という?
→桶狭間の戦い
戦国武将・今川義元の家臣で桶狭間の戦いでは鳴海城を拠点に抵抗し、主君・義元の首と引き換えに開城したのは?
→岡部元信(おかべもとのぶ)(鳴海城,なるみじょう,愛知県名古屋市緑区)(今川義元が織田信長に討たれた後も抵抗し続けるが主君の首と引き換えに開城)
戦国時代のキリシタン大名・大友宗麟が本拠としていた九州の旧国名は○○国?
→豊後国(大分)
戦国時代のキリシタン大名・大村純忠が本拠としていた九州の旧国名は〇〇国?
→肥前国(佐賀,長崎)(キリシタン大名の有馬晴信(肥前)は甥にあたる)
戦国大名・大内義隆と陶晴賢に仕えた武将で、毛利元就による嘘の情報に騙された陶晴賢により謀反者として殺されたのは?
→江良房栄(えらふさひで)
戦国武将・織田信長が若い頃に称された「愚か者」という意味の言葉は「○○○者」?
→うつけ者
戦国武将・松永久秀が創案したといわれる、兵の住居や兵器庫と塀を兼ねた長屋状の櫓は○○櫓?
→多聞櫓(たもんやぐら)(櫓とは城郭内に防御や物見のために建てられた仮設または常設の建築物)(多門(多聞)とは長屋状の建物)
戦場で長い樫の棒を武器にして暴れまわったことから「鬼真壁」の異名で呼ばれた、戦国武将・佐竹義重の家臣は真壁○○?
→真壁氏幹(まかべうじもと)(霞流棒術)(樫,カシ)
洗礼名は「アウグスティノ」という、関ヶ原の戦いに敗れるもキリシタンであることから切腹を拒んだという武将は?
→小西行長
大河ドラマ『風林火山』では千葉真一が演じた、武田信虎、信玄の2代に仕え、上田原の戦いで戦死した家臣は?
→板垣信方(いたがきのぶかた)(上田原の戦い,うえだはら)
武田家の板垣信方、甘利虎泰が戦死した、1548年に武田信玄が北信濃の戦国大名・村上義清に大敗した戦いは○○○の戦い?
→上田原の戦い(1548)(うえだはら)(板垣信方,いたがきのぶかた)(甘利虎泰,あまりとらやす)
武田信玄・勝頼の2代に仕えた戦国武将で、天目山の戦いで勝頼を裏切ったことが織田信長の逆鱗に触れ処刑されたのは?
→小山田信茂(おやまだのぶしげ)
武田信玄、勝頼に仕えた武将で天目山の戦いでは片手で敵と戦い続け「片手千人斬り」の異名で呼ばれたのは誰?
→土屋昌恒(つちやまさつね)(甲州征伐の天目山の戦い(1582)で武田勝頼自害)
武田信玄の妹・禰々を正室とした信濃国の戦国大名で、1542年に信玄との戦いに敗れ、東光寺で切腹したのは?
→諏訪頼重(すわよりしげ)(東光寺=山梨県甲府市)
鶴岡八幡宮での上杉謙信の関東管領就任式で下馬をせず、謙信に扇で烏帽子を打ち落とされたため反旗を翻した謙信の家臣は?
→成田長泰(なりたながやす)(埼玉県行田市の忍城(おしじょう))
徳川秀忠の娘・千姫の最初の夫となった武将は?
→豊臣秀頼 (豊臣秀頼→本多忠刻)(千姫の親は徳川秀忠と江)
豊臣秀吉の一代記のことを特に『○○記』という?
→太閤記
豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に水軍を率いて日本軍を打ち破った朝鮮の武将は?
→李舜臣
比叡山焼き討ちの功績で近江国滋賀郡を与えられた明智光秀が現在の滋賀県大津市に築いて居城としたのは○○城?
→坂本城
樋口定次によって確立されたとされる、戦国時代に栄えた剣の流派は○○○流?
→馬庭念流
別名を「西国の桶狭間」という1517年に武田元繁が毛利・吉川連合軍に敗れた戦いを「有田○○○の戦い」という?
→有田中井手の戦い(ありたなかいで)(武田元繁,たけだもとしげ,安芸武田氏)
北条氏政の弟・北条氏邦に仕えた武将で、真田昌幸の沼田城の支城・名胡桃城を奪取したことで、秀吉の小田原征伐を招いたのは?
→猪俣邦憲(いのまたくにのり)(名胡桃城,なぐるみじょう,群馬県)
丸目長恵によって戦国時代に創始され、九州一円に広まった剣の流派は○○捨流?
→タイ捨流 (丸目長恵,まるめながよし)
室町時代の扇谷上杉家の家臣で、主君・上杉定正の政治手法を批判する「大森教訓状」を送ったのは大森○○?
→大森氏頼(おおもりうじより)(上杉定正,うえすぎさだまさ)
盛岡城を築いたことで有名な「南部氏中興の祖」と称される武将は南部○○?
→南部信直(なんぶのぶなお)
森可成、織田信治が戦死した、1570年に浅井・朝倉・六角氏と延暦寺の連合軍が織田信長と衝突したのは○○○城の戦い?
→宇佐山城の戦い(うさやまじょう)(滋賀県大津市)(織田信治=織田信長の父である織田信秀の5男か7男)
幼少の頃に家臣の多賀谷和泉守に実権を奪われるも、成人後にこれを殺害して家中を取りまとめた「結城氏中興の祖」は結城○○?
→結城政朝(ゆうきまさとも)
義弘、歳久、家久の三人の弟を巧みに用い九州のほぼ全土を支配した戦国武将は?
→島津義久
龍造寺隆信の義弟に当たる戦国大名で、隆信の死後は嫡男の龍造寺政家に代わって国政を担い肥前佐賀藩の始祖となったのは?
→鍋島直茂(なべしまなおしげ)
若松城の拡張が難しいため来るべき徳川家康との決戦に備えて、1600年に直江兼続が会津若松市に築かせた城は○○城?
→神指城(こうざしじょう)

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[意味まとめ]
1587年に豊臣秀吉が京都で開催した、約1000人を集めた盛大な茶会は「○○大茶会」?
→北野大茶会
1598年に豊臣秀吉が京都で開催した、約1300人を集めた盛大な花見の宴は「○○の花見」?
→醍醐の花見

実在の戦国武将・三好政康がモデルの真田幸村に仕えたとされる「真田十勇士」の一人は三好○○入道?
→三好青海入道 (父・三好政長、三好三人衆=三好長逸・三好政康・岩成友通)
実在の戦国武将・三好政勝がモデルの真田幸村に仕えたとされる「真田十勇士」の一人は三好○○入道?
→三好伊三入道 (父・三好政長、兄・三好政康)

戦国時代を知る上での第一級史料として名高い『言経卿記』の著者は○○言経?
→山科言経(やましなときつね)(言経卿記,ときつねきょうき)
戦国時代を知る上での第一級史料として名高い『駒井日記』の著者は駒井○○?
→駒井重勝(こまいしげかつ)
著書『兼見卿記』で有名な戦国時代の京都の神道家は○○兼見?(タイピング)
→吉田兼見(よしだかねみ)(神道=日本の宗教)

室町時代中期に登場した本願寺の第8世門主で、浄土真宗を中興し各地で一向一揆が起きる一因となったのは?
→蓮如
実の姉は武田信玄の正室になった本願寺の第11世門主で、石山本願寺を拠点に織田信長と長きに渡る争いを繰り広げたのは?
→顕如

関ヶ原の戦いへ向かう徳川秀忠の軍を、信濃の上田城で足止めしたことで知られる戦国の世を代表する知将は?
→真田昌幸(さなだまさゆき)
上田藩、松代藩の初代藩主となった安土桃山時代の武将は真田○○?(タイピング)
→真田信之(さなだのぶゆき)(真田昌幸の長男)

上泉信綱や塚原卜伝に剣術の指導を受け、自ら剣を持って戦ったとされる室町幕府第13代将軍は誰?(自作問)
→足利義輝(あしかがよしてる)(13:1546-1565)
室町幕府の将軍の中で唯一、一度も京都に入れなかった第14代将軍は誰?(自作問)
→足利義栄(あしかがよしひで)(14:1568-1568)

1542年と1548年の2度に渡り、松平広忠・今川義元連合軍と織田信秀の間で行われた戦いは「○○○の戦い」?
→小豆坂の戦い(あずきざか)
1547年に織田信秀が斎藤道三に敗れ、その後信秀の嫡男・信長と道三の娘・帰蝶が結婚して和睦を結んだのは「○○○の戦い」?
→加納口の戦い(かのうくち)(織田信秀=織田信長の父)(帰蝶(きちょう)=濃姫)
1549年に細川晴元の家臣である三好長慶が、政敵である同族の三好政長を破った戦いは「○○の戦い」?
→江口の戦い(えぐち)(大阪府大阪市東淀川区にある摂津国の江口城)
1559年に石見銀山を巡って毛利元就率いる毛利軍が尼子軍に大敗した戦いを「○○○の戦い」という?
→降露坂の戦い(ごうろざか)(尼子軍が勝利し石見銀山の支配を維持)
1560年に浅井長政が六角義賢を破った戦いで、浅井氏が六角氏から独立する契機となったのは○○○の戦い?
→野良田の戦い(のらだ)(滋賀県彦根市)
1566年に千葉氏の家臣である原胤貞に、上杉謙信率いる軍勢が敗れた戦いのことを○○城の戦いという?
→臼井城の戦い(うすいじょう)(千葉県)(原胤貞,はらたねさだ)
1570年に龍造寺隆信のわずかな軍勢が、大友宗麟率いる大軍に奇襲攻撃をかけ勝利した戦いを「○○の戦い」という?
→今山の戦い (佐賀県佐賀市)(豊後の戦国大名・大友宗麟軍と肥前の戦国大名・龍造寺隆信軍との戦い)
1572年に伊東義祐の大軍が島津義弘のわずかな軍勢に日向国で敗れた戦いを「○○○の戦い」という?
→木崎原の戦い(きざきばる)(伊東義祐,いとうよしすけ,日向)
1573年に室町幕府最後の将軍・足利義昭が挙兵して織田信長に挑むも、敗れて京都から追放された戦いは「○○城の戦い」?
→槇島城の戦い(まきしまじょう)
1577年に加賀国で織田信長が上杉謙信に大敗した戦いを「○○川の戦い」という?(タイピング)
→手取川の戦い(てとりがわ)(石川県)
1578年に九鬼嘉隆と滝川一益の水軍が、石山本願寺の援軍である毛利水軍を打ち破った戦いを「○○川口の戦い」という?
→木津川口の戦い(きづがわぐち)(織田水軍の勝利、石山本願寺の完全封鎖)(石山合戦(1570-1580)=第一次木津川口の戦い(1576),第二次木津川口の戦い(1578),等)
1578年に播磨国で毛利輝元軍と尼子勝久・羽柴秀吉・山中幸盛連合軍が衝突した戦いのことを「○○城の戦い」という?
→上月城の戦い(こうづきじょう)(兵庫県)(毛利軍の勝利、尼子氏滅亡)
1584年に現在の長崎県で有馬晴信・島津家久の連合軍が龍造寺隆信と衝突した戦いを「○○畷の戦い」という?
→沖田畷の戦い (有馬・島津連合軍の勝利)
1586年に父・輝宗の弔い合戦として畠山氏を攻めた伊達政宗と畠山氏を援護する佐竹氏、蘆名氏との戦いを「○○橋の戦い」という?
→人取橋の戦い(ひととりばし)(福島県本宮市)(蘆名氏(あしな))(1585年に伊達政宗の父である伊達輝宗を拉致して二本松城へ連れ去ろうとする途中、輝宗もろとも射殺された武将は?→畠山義継(二本松城(福島県二本松市))
1586年に島津忠長率いる島津軍が大友氏の家臣・高橋紹運を倒した、九州における戦いを「○○城の戦い」という?
→岩屋城の戦い(いわやじょう)(福岡県太宰府市)(島津軍の勝利、高橋紹運自害)
1587年に長宗我部元親、仙石秀久ら秀吉の軍勢が島津家久に大敗した戦いを「○○川の戦い」という?
→戸次川の戦い(へつぎがわ)(島津軍の豊後府内平定、豊臣軍の大敗)
1587年に九州征伐を開始した豊臣秀吉軍と島津義久軍が日向国で激突した戦いを「○○○の戦い」という?
→根白坂の戦い(ねじろざか)(沖田綴→戸次川→根白坂)
1589年に伊達政宗が秀吉配下の蘆名義広の軍勢を打ち破り、奥州制覇をほぼ成し遂げた戦いを「○○○の戦い」という?
→摺上原の戦い(すりあげはら)(蘆名義広,あしなよしひろ)
織田信長の死後の1582年に関東地方で織田家家臣の滝川一益と北条氏直が争った戦いを「○○川の戦い」という?
→神流川の戦い(かんながわ)(滝川軍の大敗。戦国時代を通じて関東地方でもっとも大きな野戦とも言われている)
武田家の板垣信方、甘利虎泰が戦死した、1548年に武田信玄が北信濃の戦国大名・村上義清に大敗した戦いは○○○の戦い?
→上田原の戦い(1548)(うえだはら)(板垣信方,いたがきのぶかた)(甘利虎泰,あまりとらやす)
森可成、織田信治が戦死した、1570年に浅井・朝倉・六角氏と延暦寺の連合軍が織田信長と衝突したのは○○○城の戦い?
→宇佐山城の戦い(うさやまじょう)(滋賀県大津市)(織田信治=織田信長の父である織田信秀の5男か7男)

1437年に関東管領の上杉憲実と対立する鎌倉公方・足利持氏の討伐を、当時の将軍・足利義教が命じた事件を○○の乱という?
→永享の乱(えいきょう)
1441年に赤松満祐が、室町幕府第6代将軍・足利義政を暗殺したことに端を発する騒乱のことを○○の乱という?
→嘉吉の乱(かきつ)
1455年に鎌倉公方・足利成氏が関東管領・上杉憲忠を暗殺した事件に端を発する、関東地方の内乱を「○○の乱」という?
→享徳の乱(きょうとく)(足利成氏,あしかがしげうじ)(上杉憲忠,うえすぎのりただ)
1458年から翌年にかけて越前守護代・甲斐常治と越前守護・斯波義敏の間に起きた争いを○○合戦という?
→長禄合戦(ちょうろく)
1487年から1505年にかけて山内上杉家の上杉顕定と扇谷上杉家の上杉定正の間に起きた争いを○○の乱という?
→長享の乱(ちょうきょう)
1493年に細川政元が室町幕府将軍・足利義材を追放し、清晃(義澄)を将軍に擁立したクーデターを「○○の政変」という?[足利義材(10:1490-1493,足利義稙11.5:1508-1521)(畠山政長)][足利義澄(11:1494-1508)(細川政元)]
→明応の政変 (細川政元の働きかけで足利義澄を11代将軍として擁立し、10代将軍・足利義材の廃立を宣言するクーデターを決行し足利義材を幽閉した。細川政元は管領となり主導権を掌握した)
1507年の細川政元暗殺事件に端を発する、室町幕府管領・細川京兆家で起きた内乱を「○○の錯乱」と言う?
→永正の錯乱(えいしょう)
1517年今川義元が還俗して家督を継ごうとした際に、福島氏が擁立した玄広恵探が対抗して挙兵した事件を「○○の乱」という?
→花倉の乱(はなくら)(今川氏のお家騒動)(玄広恵探,げんこうえたん)(「花倉」とは静岡県藤枝市の地名)(還俗=僧侶になった者が俗人に戻ること)
1551年に周防の戦国大名である大内義隆が、家臣・陶隆房(晴賢)の謀反に遭い自害したことを「○○寺の変」という?
→大寧寺の変(だいねいじ)(陶隆房,すえたかふさ)
1555年に能登畠山家の実権を取り戻すため、畠山義綱が畠山七人衆の温井総貞を暗殺したことに端を発する内乱を○○の内乱という?
→弘治の内乱(こうじ)(畠山義綱,はたけやまよしつな)(温井総貞,ぬくいふささだ)
1565年に室町幕府第13代将軍足利義輝が、京都の二条御所で三好三人衆と松永久秀らに暗殺された事件は「○○の変」?
→永禄の変(1565)(東大寺大仏殿の戦いで大仏炎上)
1599年関ヶ原の戦いの直前に起きた、島津氏とその家臣・伊集院氏との間で起きたお家騒動を「○○の乱」という?
→庄内の乱(宮崎県都城市)(関ヶ原の戦い直前の大乱であり島津氏が関ヶ原の戦いに大軍を送れなかった原因になったともいわれている)
上杉謙信の急死後、その家督をめぐって上杉景勝と上杉景虎の間で起こった内乱を○○の乱という?(タイピング)
→御館の乱(おたてのらん)(1578)

1535年に起きた、徳川家康の祖父である松平清康が側近の阿部弥七郎に殺害された事件を通称「○○崩れ」という?
→守山崩れ (森山崩れ)(徳川家康の父は松平広忠)
1550年に武田信玄が村上義清に歴史的な大敗を喫した戦いを舞台となったお城の名前から「○○崩れ」という?
→砥石崩れ (戸石城,砥石城,長野県上田市)(戸石城の攻防戦)
1550年に勃発した、豊後国の戦国大名・大友氏のお家騒動の通称は「“何”崩れ」?(四択)
→二階崩れの変(1550)
1556年に現在の島根県大田市で起きた、宍戸隆家率いる毛利軍が尼子軍に敗れた戦いを「○○崩れ」という?
→忍原崩れ(おしばらくずれ)(島根県大田市)(尼子軍が勝利し石見銀山を掌握。毛利軍敗北)

1577年に上杉謙信に包囲され内乱を起こし、長綱連を討った遊佐続光の手で開城された能登畠山氏の居城は○○城?
→七尾城(ななおじょう)(石川県七尾市)(長続連,ちょうつぐつら)(七尾城の戦い(1576)=能登畠山氏の滅亡)
1573年に信長に京都を追放された室町幕府将軍・足利義昭が入城した、現在の大阪府東大阪市にあった三好義継の居城は○○城?
→槇島城(まきしまじょう)
1577年に織田信長に対して謀反を起こした松永久秀が籠城の末に自害して果てたお城は○○○城?
→信貴山城 (信貴山城の戦い(1577))
1581年に羽柴秀吉と対戦した吉川元春が、背水の陣を敷くために橋を落としたという鳥取県の河は○○川?
→橋津川(はしづがわ)(吉川元春(きっかわもとはる)=毛利元春)
1582年に賤ヶ岳の合戦で羽柴秀吉に敗れた柴田勝家が妻・お市の方と共に火を放って自害したお城は○○城?
→北庄城(北ノ庄城,きたのしょうじょう)
16世紀に小山田氏の居城となった山梨県にあったお城で、岩山に建てられた堅守の城として有名なのは○○○城?
→岩殿山城(いわどのやまじょう)
織田信長の弟・織田信興が、1570年に伊勢長島で一向一揆の軍に攻められて自害した城は○○○城?
→古木江城(こきえじょう)(織田信興,おだのぶおき)(伊勢長島=伊勢(三重県)の長島藩)
柴田勝家が六角義賢と戦った際にここに篭城し、最後の水を貯めた瓶を割って叱咤したという滋賀県にあった城は○○○城?
→長光寺城(瓶割城,かめわりじょう)(六角義賢,ろっかくよしかた)(叱咤,しった)
比叡山焼き討ちの功績で近江国滋賀郡を与えられた明智光秀が現在の滋賀県大津市に築いて居城としたのは○○城?
→坂本城
若松城の拡張が難しいため来るべき徳川家康との決戦に備えて、1600年に直江兼続が会津若松市に築かせた城は○○城?
→神指城(こうざしじょう)
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  1. 2014/05/03(土) 12:28:47|
  2. 戦国時代検定
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戦国時代検定 文字パネル

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1534年にパリで結成された男子修道会で、メンバーの一人であるザビエルが日本へキリスト教を伝えたのは○○○○会?
→イエズス会(Society of Jesus)
1537年に武蔵国の松山城を巡って北条氏家臣の山中主膳と戦った際、古今集の和歌のやりとりをした事で有名な扇谷上杉氏の家臣は?
→難波田憲重(なんばだのりしげ)
1560年に尾張の織田信長が駿河の戦国大名・今川義元の大軍を打ち破った戦いは「○○○の戦い」?
→桶狭間の戦い
1563年、最初のキリシタン大名大村純忠に洗礼を行ったイエズス会の宣教師はコスメ・デ・○○○○?
→コスメ・デ・トーレス(Cosme de Torres,西班牙)
1582年の山崎の戦いの際に明智光秀と羽柴秀吉のどちらの軍に加勢するか、洞ヶ峠で日和見をしたとされる武将は?
→筒井順慶(つついじゅんけい)
1587年に豊臣秀吉が九州で発したカトリック教会の宣教師を追放する命令は「○○○○追放令」?
→バテレン追放令(伴天連追放令)
1588年頃に、豊臣秀吉が命じて天正大判を鋳造させた金工家の名前は?
→後藤徳乗(ごとうとくじょう)
1590年の豊富秀吉による小田原攻めに降伏したことにより彼の天下統一が完成することとなった相模国の戦国武将は?
→北条氏政
2009年の大河ドラマ『天地人』では妻夫木聡が演じる、上杉氏の家老として知られる武将は?
→直江兼続
「川中島の戦い」で討死したとされる戦国武将・武田信玄の伝説的軍師で、2007年にNHK大河ドラマの題材になったのは?
→山本勘助
「小谷の方」とも呼ばれる柴田勝家の妻となった織田信長の妹といえば?
→お市の方
「疾如風…」と始まる武田信玄の旗印のことを一般に何という?
→風林火山
「天下分け目の戦い」といわれた関ヶ原の戦いが起きたのは西暦○○○○年?
→1600年
いわゆる「豊臣平和令」の一つで大名同士の武力による戦いを禁じた法令といえば?
→惣無事令
その理念は著書『五輪書』に記されている、戦国時代の剣豪・宮本武蔵が創始した剣の流派は?
→二天一流
ラテン語で「神の恵み」を意味する洗礼名で知られる戦国武将・細川忠興の妻は細川○○○○?
→細川ガラシャ
安芸国を本拠にして一大勢力を築いた戦国時代の大名で、特に「三本の矢の教え」の逸話で名高いのは?
→毛利元就
明智光秀が織田信長に謀反を起こした「本能寺の変」は西暦何年のできごと?
→1582年
明智光秀が本能寺の変を起こす前に京都で開催した連歌会で「時は今雨が下しる五月哉」という発句が詠まれたのは?
→愛宕百韻(あたごひゃくいん)(本能寺の変の直前に愛宕山で明智光秀が張行した連歌)
尼子氏の軍師・山中鹿之介が三日月に向かって念じたとされる有名な言葉といえば「願わくば我に○○○○を与えたまえ」?
→願わくば我に七難八苦を与えたまえ
一般には尾張の桶屋の子とされている、賤ヶ岳の七本槍の筆頭としても名高い武将は?
→福島正則
井ノ口城、金華山城とも呼ばれた斉藤道三が美濃支配の拠点とし後に織田信長が「岐阜城」と名を改めた城は?
→稲葉山城
上杉謙信と武田信玄が戦った「川中島の戦い」を描いた海音寺潮五郎の小説を原作とした1990年公開の角川映画は?
→天と地と
織田信長と豊臣秀吉が日本の統治権を握っていた時代を2人の居城があった地名から○○○○時代という?
→安土桃山時代
織田信長の死後の1582年に空白地となった旧武田領を巡り徳川家康と北条氏直が衝突した戦いを「○○○○の乱」という?
→天正壬午の乱(てんしょうじんご)(1582年=「壬午」は天正10年の干支)
織田信長の配下で北陸方面の司令官を務めた戦国武将で1583年の「賤ヶ岳の戦い」で豊臣秀吉に敗れて自害したのは?
→柴田勝家
小田原征伐の大義名分にもなった、豊臣秀吉が出した大名同士の戦いを禁止した法令を「○○○令」という?
→惣無事令
甲斐の恵林寺や京都の天竜寺を創建した、著書『夢中問答集』で知られる臨済宗の僧は?
→夢窓疎石
甲斐国の戦国大名・武田氏の事績や戦術を記した全59品から成る軍学書は?
→甲陽軍鑑
奇行が目立つ織田信長を諌めるために1553年に自害した彼の教育係を務めた戦国武将は?
→平手政秀 (諫める,いさめる)
山陰地方の制覇を目指す毛利元就が、尼子氏の居城を包囲して滅亡に追い込んだ戦いは「○○○○城の戦い」?
→月山富田城の戦い
柴田勝家が籠城戦を行った際の逸話から「瓶割城」と呼ばれた近江の城は?
→長光寺城(近江八幡市)(瓶割城,かめわりじょう)
出家前の名を「晴信」といった甲斐国の戦国武将で、越後国の上杉謙信との争いで名高いのは?
→武田信玄
将軍・足利義澄を擁して室町幕府の権力を握り「半将軍」と呼ばれた武将といえば?
→細川政元 [足利義材(10:1490-1493,足利義稙11.5:1508-1521)(畠山政長)][足利義澄(11:1494-1508)(細川政元)]
城下で「楽市」を最初に行ったことで知られる戦国大名は?
→六角定頼
織豊時代の武将で初代姫路藩主を務め「姫路宰相百万石」とうたわれたのは?
→池田輝政(いけだてるまさ)
処世術に優れ、権力者に取り入り戦国時代を乗り切り津藩の初代藩主となった戦国武将で築城の名手として知られるのは?
→藤堂高虎
駿河の戦国武将・今川義元が幼少時に出家させられ善徳寺に預けられていた時に名乗っていた名前は?
→梅岳承芳(ばいがくしょうほう)
駿河の戦国大名・今川氏親とその子の義元が定めた54条からなる分国法は「今川○○○○」?
→今川仮名目録(いまがわかなもくろく)
正室・まつによる内助の功も有名な戦国時代の武将で五大老の一人として秀吉を助け加賀百万石の礎を作ったのは?
→前田利家
関ヶ原の戦いでは石田三成に請われ西軍に参加し病を患って顔を白の頭巾で隠して戦った武将といえば?
→大谷吉継(おおたによしつぐ)
戦国時代、合戦の後に主君が家臣に対して行った、功績の程度を調べ、それに応じて賞を与えることを何といった?
→論功行賞(ろんこうこうしょう)
戦国時代から江戸時代にかけてキリスト教に入信した大名を「○○○○○大名」という?
→キリシタン大名
戦国時代に活躍した畠山七人衆の一人であった能登畠山家の家老で、長一族を全滅させ上杉謙信と手を結び能登を支配したのは?
→遊佐続光(ゆさつぐみつ)(長続連,ちょうつぐつら)
戦国時代に土佐国の長宗我部氏によって行われた農兵制度を何という?
→一領具足 (半農半兵の兵士および組織の呼称)
戦国大名が制定した分国法で条文の数がもっとも多かった塵芥集は、何条からなる?
→171条
戦国大名の重要な兵器となった火縄銃が、種子島に伝来したのは西暦○○○○年?
→1543年(火縄銃ポルトガル人)(キリスト教の伝来(1549年))
戦国武将・上杉謙信が元服した時の名は?
→長尾景虎
戦国武将・織田信長が印に用いた「武力をもって天下を支配する」という意味の言葉は?
→天下布武
大河ドラマ『黄金の日々』では川谷拓三が演じた、1573年に近江の千草街道において織田信長を火縄銃で狙撃した人物は?
→杉谷善住坊(すぎたにぜんじゅぼう)(織田信長を火縄銃で狙撃したことで知られる人物)
哲学・神学・一般教養などを教えた、戦国時代にイエズス会が設立した聖職者を養成するための大学は?
→コレジオ
徳川家康が関ヶ原など幾多の戦いで愛用した甲冑を兜の前立ての形から何という?
→歯朶具足(しだのぐそく)
徳川家康が用いたものが有名な敵軍に攻められた際にあえて城門を開け放つことで敵を警戒させる作戦を何という?
→空城計(くうじょうけい)
豊臣秀次などに医者として仕えた戦国時代の人物で『信長記』『太閤記』の著者として知られるのは?
→小瀬甫庵
豊臣秀吉が「東の本多忠勝」に対し西の将として評価した関ヶ原で追われた柳川城主の座にのちに舞い戻った武将といえば?
→立花宗茂
豊臣秀吉による朝鮮出兵の拠点として築城された肥前国の城といえば?
→名護屋城
長野業正、武田信玄に仕え新陰流を創始した武将で柳生宗厳に武芸を伝授するなど「剣聖」と謳われたのは?(文字パネル?)
→上泉信綱(かみいずみのぶつな)(長野業正,ながのなりまさ)
名を「正成」という徳川家康のもとで伊賀忍者を統率した武将といえば?
→服部半蔵
本能寺の変に関する記述があることで有名な著書『日々記』を残した、戦国・安土桃山時代の公家は○○○晴豊?
→勧修寺晴豊(かじゅうじはるとよ)
室町時代に起こった応仁の乱のきっかけとなったのは将軍である誰の後継ぎ争い?
→足利義政(8:1449-1473)

1467年の応仁の乱で東軍の総大将をつとめたのは?ですが、
→細川勝元
1467年の応仁の乱で西軍の総大将をつとめたのは?
→山名宗全
大坂の役の原因となった方広寺の鐘に刻まれた文字で家康の名前を分断しているとされたのは?ですが、
→国家安康
大坂の役の原因となった方広寺の鐘に刻まれた文字で豊臣家の繁栄を望む意味だと難癖をつけられた文字は?
→君臣豊楽
織田信長に中国地方の攻略を命ぜられた豊臣秀吉が水攻めにより自害に追い込んだ備中高松城主は?ですが、
→清水宗治(しみずむねはる)(岡山県岡山市北区高松)
織田信長に中国地方の攻略を命ぜられた豊臣秀吉が兵糧攻めにより自害に追い込んだ三木城主は?
→別所長治(べっしょながはる)(兵庫県三木市)
京都の伏見城を築城した戦国武将は?ですが、
→豊臣秀吉
京都の二条城を築城した戦国武将は?
→徳川家康
関ヶ原の戦い以前から徳川氏に従った大名を何という?ですが、
→譜代大名
関ヶ原の戦い以後に徳川氏に従った大名を何という?
→外様大名
戦国時代に栄えた剣の流派で新陰流の開祖といえば?ですが、
→上泉信綱(かみいずみのぶつな)
戦国時代に栄えた剣の流派で新当流の開祖といえば?
→塚原卜伝(つかはらぼくでん)
戦国時代に栄えた剣の流派でタイ捨流をの開祖といえば?(自作問)
→丸目長恵(まるめながよし)
戦国時代の分国法で甲斐の武田信玄が制定したのは『○○○○之次第』?ですが、
→甲州法度之次第
戦国時代の分国法で相模の北条氏が制定したのは『○○○○二十一箇条』?
→早雲寺殿二十一箇条
戦国武将たちがリアルタイムバトルを繰り広げるコーエーのアクションゲームは?ですが、
→戦国無双
三国志の武将たちがリアルタイムバトルを繰り広げるコーエーのアクションゲームは?
→三國無双

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[意味まとめ]
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  1. 2014/05/03(土) 12:28:14|
  2. 戦国時代検定
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戦国時代検定 並べ替え

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1572年に武田信玄の軍が徳川家康と織田信長の連合軍を破った戦いは?
→三方ヶ原の戦い
1575年、包囲された流しの上を脱出して家康方に援軍を頼むも帰路に捕らえられてしまったその忠節ぶりで知られる武将は?
→鳥居強右衛門(とりいすねえもん)
1582年に明智光秀が織田信長を襲撃し自害に追い込んだ事件は?
→本能寺の変
1585年には四国のほぼ全域を支配権におさめた、土佐出身の戦国大名といえば?
→長宗我部元親
1594年に京都で釜煎りの刑に処された、戦国時代に近畿を中心に荒らしまわったとされる盗賊団の頭領は?
→石川五右衛門
1992年に放送された、戦国武将・織田信長を主人公とするNHKの大河ドラマは『信長 KING OF○○○○○○○』?
→信長 KING OF ZIPANGU
2002年に放送された、戦国武将・前田利家とその妻を主人公としたNHKの大河ドラマは『利家とまつ~○○○○○○○~』?
→加賀百万石物語
「小田原の役」の際、体中に鈴を縫い付けて戦ったことから「鈴鳴り武者」と呼ばれた戦国武将といえば?
→仙石権兵衛秀久
「一人は皆のため、皆は一人のために尽くせば全員が幸福になる」という意味の、戦国武将・石田三成が用いた文字紋は?
→大一大万大吉
5回にわたって行われた上杉謙信と武田信玄との戦いを何という?
→川中島の戦い(第4次1561年)
ある生物の名が付いた戦国武将・斉藤道三の異名は?
→美濃のマムシ
その出で立ちから「天狗」と怖れられた剣術の「天流」の祖は?
→斎藤伝鬼坊
ラテン語や音楽などの一般教養を生徒に課した、イエズス会が戦国時代に設立した日本人聖職者を養成するための神学校は?
→セミナリオ (Seminario=初等教育)(Collegio=高等教育)
足利義満に仕えた日明貿易で活躍した商人は誰?
→楠葉西忍(くすばさいにん)
映画『スター・ウォーズ』に登場するダース・ベイダーのモデルになったという説もある伊達政宗が用いた甲冑は?
→黒漆五枚胴具足(くろうるしごまいどうぐそく)
刀剣・衣装の心得や出仕の際の注意などが列挙された、戦国大名の北条家に伝わる家訓は?
→早雲寺殿廿一箇条(そううんじどの21かじょう)
歌舞伎でも有名な浅草の花川戸に住んで町奴の頭領となった江戸時代初期の侠客は?
→幡随院長兵衛(ばんずいいん ちょうべえ)
漢字では「濃毘数般」と書く戦国時代から江戸時代にかけてのメキシコの呼び名は?  
→ノビスパン
牙を向いて威嚇する神の顔を鉢の部分に取り付けてある戦国武将・上杉謙信が着用した変わり兜の名前は?
→三宝荒神形張懸兜(さんぽうこうじんなりはりかけかぶと)
岐阜城を攻める際に初めて用いたとされる豊臣秀吉の馬印といえば?
→千成びょうたん
講談などで有名な秋宅庵之介、山中鹿之介ら十人の精鋭たちを何と称する?
→尼子十勇士
後陽成天皇の弟宮にあたる戦国時代の皇族で、豊臣秀吉の養子となり、桂離宮を創始したことで有名なのは?
→八条宮智仁親王(としひとしんのう)
死後に他者へ渡るのを嫌がって切腹時に破壊したともいわれる戦国時代の武将・松永久秀が所有していた有名な茶釜は?
→古天明平蜘蛛(こてんみょうひらぐも)
静岡市の浅間神社に収められる徳川家康が13歳のときに初めて着た甲冑の名前は?  
→紅糸威小腹巻(くれないいとおどしこはらまき)
賤ヶ岳の戦いで柴田勝家が敗れるきっかけを成してしまったともいわれる「鬼玄蕃」と呼ばれた武将は?
→佐久間盛政(さくまもりまさ)
小説『黄金の日日』にも描かれている、フィリピンとの貿易で巨万の富を得た堺の豪商は?
→呂宋助左衛門(るそんすけざえもん)(城山三郎『黄金の日日』)
将軍・足利義輝や織田信長、豊臣秀吉らの診療を行った著書『啓迪集』で知られる戦国時代の医学者は?
→曲直瀬道三
関ヶ原の戦いで敗れて八丈島へ渡された戦国時代の武将で豊臣政権下では「五大老」の一人に数えられたのは?
→宇喜多秀家
戦国武将・織田信長の短気さと気性の荒さを表現した、後世の人による川柳は「なかぬなら○○○○○○時鳥」?
→殺してしまへ
戦国武将・豊臣秀吉の好奇心旺盛な性分を表現した、後世の人による川柳は「鳴かずとも○○○○○○○杜鵑」?
→なかして見せふ
戦国武将・上杉謙信の辞世の句は「極楽も地獄も先は有明の○○○○○○○○○」?
→極楽も 地獄も先は 有明の 月ぞ心に 掛かる雲なき
戦国武将・松永久秀から天下人の織田信長へと献上された、名器として当時の茶人の垂涎の的だった唐者茶入れの名前は?
→九十九髪茄子(つくもなす)
戦国時代にイエズス会が刊行した「キリシタン版」の代表的な作品である、『イソップ物語』を日本語訳した出版物は?
→伊曽保物語
戦国時代の始まりの一つで1493年、前管領・細川政元が足利義澄を擁立して行ったクーデター事件は?[足利義材(10:1490-1493,足利義稙11.5:1508-1521)(畠山政長)][足利義澄(11:1494-1508)(細川政元)]
→明応の政変 (細川政元の働きかけで足利義澄を11代将軍として擁立し、10代将軍・足利義材の廃立を宣言するクーデターを決行し足利義材を幽閉した。細川政元は管領となり主導権を掌握した)
戦国大名の小西行長に引き取られ彼の養女として育てられた、秀吉の朝鮮出兵の際、現在の平壌近郊から拉致されてきた女性は?
→ジュリアおたあ
戦国武将の上杉謙信が元服して最初に名乗った名前といえば?
→長尾景虎
戦国武将・上杉謙信の辞世の句は「極楽も地獄も先は有明の○○○○○○○○○」?
→極楽も 地獄も先は 有明の 月ぞ心に 掛かる雲なき
戦国武将・上杉謙信を主人公にした小説『天と地と』で知られる作家は?
→海音寺潮五郎
先攻部隊が敵をおびき出し茂みに多数の伏兵を隠した場所に誘い込んで一気に討つという島津家が得意とした戦法は?
→釣り野伏せ
豊臣秀吉によって「天下一」の称号を許された、戦国時代に越前国大野で活躍した能面製作の名人といえば?
→出目是閑吉満(でめぜかんよしみつ)
豊臣秀吉によるキリスト教禁教のきっかけといわれる1596年に暴風雨のため土佐国に漂着したスペイン船は?
→サン・フェリペ号
豊臣秀吉の太閤検地に当たって採用された、実際に耕作を行う農民を年貢の負担者とみなす原則は「○○○○○の原則」?
→一地一作人
日本へ活版印刷機を持ち込んだイエズス会の宣教師で、天正遣欧少年使節の発案者でもあるのはアレッサンドロ・○○○○○○?
→アレッサンドロ・バリニャーノ(Alessandro Valignano)
日本人最初のキリスト教徒ともいわれる薩摩出身の人物でイエズス会の宣教師・ザビエルを助けて布教活動を行ったのは?
→アンジロー
後に江戸期の武士にも心得として親しまれたという『甲州法度之次第』の原型をなす99ヶ条による戒めの通称は?
→武田信繁家訓
信長が倒れた直後、窮地に陥った徳川家康の伊賀越えを救ったことから、江戸幕府御用商人となった人物は?
→茶屋四郎次郎
秀吉に伊予6万石を与えられ僧侶のまま大名となった毛利氏の外交僧は?
→安国寺恵瓊(あんこくじえけい)
武将・織田信長の実弟で東京の「有楽町」という地名の由来にもなったともいわれるのは?
→織田有楽斎(おだうらくさい)(織田長益,茶人)
無礼を働いた茶坊主を真っ二つにした逸話でも知られる織田信長が愛用した日本刀は?
→圧し切り長谷部(へしきりはせべ)
本姓は杉木という沼田城主・真田信利の横暴を江戸幕府へ命と引き換えに訴え出た上野国の義民は?
→磔茂左衛門(はりつけ もざえもん) (杉木茂左衛門 すぎきもざえもん)
三浦道寸の辞世の句は「討つ者も討たるる者も土器よくだけて○○○○○○○○」?
→討つ者も 討たるる者も 土器(かわらけ)よ 砕けて後は もとの土くれ
身分の低い者が上の者を倒して実力でのし上がる戦国時代の風潮を何という?
→下克上
毛利元就の初陣としても知られる1517年に安芸国で起こった毛利・吉川連合軍と安芸武田軍が争った合戦は「○○○○○の戦い」?
→有田中井手の戦い(ありたなかいで)
山口県防府市の毛利博物館が所蔵する、国宝にもなっている戦国時代の水墨画家・雪舟の代表作は?
→四季山水図巻
有名な手紙「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」の作者として知られる、「鬼作左」と呼ばれた徳川家康の家臣は?
→本多作左衛門重次
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[意味まとめ]
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  1. 2014/05/03(土) 12:26:37|
  2. 戦国時代検定
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戦国時代検定 連想

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「美濃三人衆」の一人/次男の行広は大坂の陣で活躍/出家前の名前は直元/1571年伊勢長島攻めで戦死
→氏家卜全(氏家直元)
「美濃三人衆」の一人/僧侶から還俗して家督を継ぐ/姉川の戦い、小牧の戦いに参加/1588年美濃清水城で死去
→稲葉一鉄(稲葉良通)
「美濃三人衆」の一人/竹中半兵衛と稲葉山城を占領/武田勝頼と内通した罪で追放/稲葉一徹との戦いで自害
→安藤守就

豊臣政権「三中老」の一人/信長・秀吉に仕えた武将/晩年は剃髪して高野山に/讃岐高松藩の藩主
→生駒親正(いこまちかまさ)
豊臣政権「三中老」の一人///
→堀尾吉晴(ほりおよしはる)
豊臣政権「三中老」の一人///
→中村一氏(なかむらかずうじ)

豊臣秀吉の五奉行/軍師に島左近を迎える/近江佐和山城主/関ヶ原の戦いの後に斬首
→石田三成
豊臣秀吉の五奉行の一人/家紋は「大一大万大吉」/近江の佐和山城主/関ヶ原の戦いで西軍の中心に
→石田三成(行政担当)(近江佐和山19万石)
豊臣秀吉の五奉行の一人///
→浅野長政(司法担当)(筆頭・甲斐甲府22万石)
豊臣秀吉の五奉行の一人///
→増田長盛(土木担当)(大和郡山22万石)
豊臣秀吉の五奉行の一人///
→長束正家(財政担当)(近江水口5万石)
豊臣秀吉の五奉行の一人///
→前田玄以(宗教担当)(丹波亀山5万石)

豊臣秀吉の五大老の一人/正室は前田利家の娘・豪姫/「備前宰相」/関ヶ原の戦い後、八丈島へ配流
→宇喜多秀家(備前57万石)
豊臣秀吉の五大老の一人///
→徳川家康()(関東256万石)
豊臣秀吉の五大老の一人///
→前田利家(加賀等83万石)
豊臣秀吉の五大老の一人///
→上杉景勝(会津120万石)
豊臣秀吉の五大老の一人///
→毛利輝元(中国地方120万石)

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「利休七哲」の一人/号は「宗綱」/元々は石山本願寺に属する/手水鉢や緞子などに名を残す
→芝山監物(芝山宗綱(むねつな))
「利休七哲」の一人/名前は「重然」/豊臣家の筆頭茶人/独特の形状の茶碗
→古田織部(古田重然(しげなり))
「利休七哲」の一人/小倉藩の初代藩主/茶道・三斎流の開祖といわれる/妻の洗礼名はガラシャ
→細川忠興
「利休七哲」の一人/「風流の利発人」/会津藩発展の基礎を築く/洗礼名は「レオン」
→蒲生氏郷

戦国時代の画家/『慧可断臂の図』/『天橋立図』/『秋冬山水図』
→雪舟
戦国時代の画家/『龍虎図屏風』/『旧祥雲寺障壁画』/『松林図』  
→長谷川等伯
戦国時代の画家/『聚光院障壁画』/『洛中洛外図』/『唐獅子図屏風』
→狩野永徳
戦国時代の画家/『星光寺縁起』/『清水寺縁起』/『北野天神縁起』
→土佐光信(とさみつのぶ)

室町時代の連歌師/句集『萱草』『老葉』/紀行文『白河紀行』/連歌『水無瀬三吟百韻』
→飯尾宗祇
有名な豪商/名は光好/ベトナムとの朱印船貿易/大堰川、富士川などの水路を開発
→角倉了以

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織田信勝/織田信秀/織田信忠/織田信長
→織田氏
伊達吉村(よしむら)/伊達宗綱(むねつな)/伊達氏宗(うじむね)/伊達政宗(まさむね)
→伊達氏
島津立久(たつひさ)/島津義弘(よしひろ)/島津忠昌(ただまさ)/島津貴久(たかひさ)
→島津氏
朝倉家景(いえかげ)/朝倉貞景(さだかげ)/朝倉教景( のりかげ)/朝倉義景
→朝倉氏(越前国)
六角頼綱(よりつな)/六角義治(よしはる)/六角義賢(よしかた)/六角定頼
→六角氏(近江国)
蠣崎慶広(よしひろ)/蠣崎義広(よしひろ)/蠣崎信広(のぶひろ)/蠣崎季広(すえひろ)
→蠣崎氏(旧蝦夷松前藩)
長宗我部兼序(かねつぐ)/長宗我部盛親(もりちか)/長宗我部国親(くにちか)/長宗我部元親
→長宗我部氏
武田時綱(ときつな)/武田信虎(のぶとら)/武田勝頼/武田信玄
→甲斐武田氏
北条幻庵(げんあん)/北条綱成(つなしげ)/北条氏綱(うじつな)/北条早雲
→小田原北条氏
戦国大名の一族/土佐を統一/国親/元親
→長宗我部
一柳直末/中村一氏/滝川一益/山内一豊
→一 (一柳直末,ひとつやなぎなおすえ)

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室町時代の守護大名/嘉吉の乱を鎮圧/別名「赤入道」/応仁の乱で西軍の総大将
→山名宗全 (嘉吉の乱(1441)=赤松満祐が室町幕府6代将軍足利義教を暗殺し、領国播磨で幕府方討伐軍に敗れて討たれるまでの一連の騒乱)
室町時代の守護大名/守護領国制を導入/従兄・義就と家督争い/明応の政変で自害
→畠山政長
戦国時代の武将/刀狩/太閤検地/あだ名は「サル」
→豊臣秀吉
戦国時代の武将/通称は「五郎左」/安土城の普請奉行/羽柴秀吉の「羽」の由来
→丹羽長秀
戦国時代の武将/川中島の戦い/別名は「甲斐の虎」/「風林火山」
→武田信玄
戦国時代の武将/川中島の戦い/初名は「長尾景虎」/「敵に塩を送る」
→上杉謙信
戦国時代の武将/趣味は料理/仙台藩の初代藩主/独眼流  
→伊達政宗
戦国時代の武将/武田信玄の参謀/川中島の戦いで戦死/「ヤマカン」の語源とされる
→山本勘助
戦国時代の武将/尼子十勇士の一人/鴻池家の祖とされる/「願わくば我に七難八苦を…」
→山中鹿之介(しかのすけ)
戦国時代の武将/名古屋市にある寺に名を残す/織田信秀に仕えた家老/織田信長をいさめるため切腹
→平手政秀
安土城を築く/楽市・楽座/桶狭間の戦い/本能寺の変で倒れる
→織田信長
安土桃山時代の武将/通称は十兵衛/「敵は本能寺にあり」/三日天下
→明智光秀
三方ヶ原の戦いで敗れた/「狸爺」と呼ばれた/東照大権現として祀られた/江戸幕府を開いた
→徳川家康
織田信長に仕えた武将/長光寺城での瓶割り/最期は越前北ノ庄で自刃/妻はお市の方
→柴田勝家
豊臣秀吉の軍師/本名は「重治」/和泉節子の祖先といわれる/「知らぬ顔の○○○」
→竹中半兵衛
豊臣秀吉の軍師/洗礼名はドン・シメオン/鳥取城の兵糧攻め/高松城の水攻め  
→黒田官兵衛(黒田孝高)
信長・秀吉に仕えた武将/府中三人衆の一人/黒母衣衆として活躍/肥後国人一揆の責任を取り自害
→佐々成政 (黒母衣衆(くろほろしゅう),赤母衣衆(あかほろしゅう))
洗礼名は「シメオン」/号は「如水」/通称は「官兵衛」/豊臣秀吉の参謀
→黒田孝高(黒田官兵衛)
ザビエル曰く「日本最大の領主」/周防など七カ国の守護/「西の京」を創り出す/家臣の陶晴賢に裏切られる
→大内義隆(おおうちよしたか)
キリシタン大名/天正遣欧使節を派遣/洗礼名はフランシスコ/豊後の領主
→大友宗麟
若き日の名は三好信吉/八幡山城を築城/小牧・長久手の戦いで大敗/「殺生関白」
→豊臣秀次
三好長慶の家臣/上泉伊勢守信綱の弟子/「石舟斎」/柳生新陰流を創始
→柳生宗厳
愛馬は「松風」/「穀蔵院飄戸斎」/小説『一夢庵風流記』/傾奇者として有名
→前田慶次郎 (穀蔵院飄戸斎(こくぞういん・ひょっとさい))(隆慶一郎(りゅうけいいちろう)『一夢庵風流記』)

淀殿の母/浅井長政と政略結婚/柴田勝家と再婚/織田信長の妹
→お市の方
最上義守の娘/出家してからは保春院/「奥羽の鬼姫」/伊達政宗の母
→義姫(よしひめ)(愛姫(よしひめ,めごひめ)は伊達政宗の正室)

「羽州の狐」/「出羽の驍将」/山形城主/伊達政宗と闘争
→最上義光
関ヶ原の戦いでは西軍/朝鮮出兵の水軍の総大将/「鉄甲船」の建造/「海賊大名」
→九鬼嘉隆(くきよしたか)
武田四天王のひとり/通称は「逃げ弾正」/本名は春日虎綱/「甲陽軍鑑」の作者とされる
→高坂昌信(こうさかまさのぶ)(保科正俊(ほしなまさとし)=槍弾正)(真田幸隆(さなだゆきたか)=攻め弾正)(武田四天王=高坂昌信,内藤昌豊(ないとうまさとよ),馬場信房(ばばのぶふさ),山県昌景(やまがたまさかげ))
北信濃の戦国大名/上田原の戦い/長槍を武器に活躍/武田信玄に砥石崩れで勝利
→村上義清(むらかみよしきよ)(戸石城(砥石城)=長野県上田市)

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[宣教師]
イエズス会の宣教師/鹿児島に上陸/日本にメガネを伝える/日本にキリスト教を伝える
→フランシスコ・ザビエル(Francisco de Xavier,西)
イエズス会の宣教師/イタリア人/活字印刷機でキリシタン版を出版/天正遣欧使節を率いる
→アレッサンドロ・ヴァリニャーノ(Alessandro Valignano)
イエズス会の宣教師/ポルトガル出身/織田信長の絶大な保護を受ける/『日本史』の著者
→ルイス・フロイス(Luis Frois)
イエズス会の宣教師/「烏児干伴天連」/織田信長の新任を受ける/京都に南蛮寺を建てる
→グネッキ・ソルディ・オルガンティノ(Gnecchi-Soldo Organtino,伊)(うるがんばてれん)

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[合戦]
1570年/近江国/勝ったのは織田信長・徳川家康/負けたのは浅井長政・朝倉義景  
→姉川の戦い(1570)
1583年/近江国/勝ったのは羽柴秀吉/負けたのは柴田勝家
→賤ヶ岳の戦い(1583)
戦国時代の合戦/舞台は尾張国/今川義元と織田信長との戦い/本陣を強襲して織田軍の勝利
→桶狭間の戦い(1560)
戦国時代の合戦/舞台は近江国/浅井長政・朝倉義景連合軍/織田信長
→姉川の戦い(1570)
戦国時代の合戦/舞台は遠江国/武田信玄と徳川家康の戦い/勝利の後に信玄が病死  
→三方ヶ原の戦い(1573)
戦国時代の合戦/舞台は三河国/織田・徳川連合軍と武田軍の戦い/鉄砲隊が大活躍
→長篠の戦い(1575)
戦国時代の合戦/舞台は摂津国と山城国の境/明智光秀の「三日天下」の終わり/別名「天王山の戦い」  
→山崎の戦い(1582)
戦国時代の合戦/舞台は豊後国/島津義久/秀吉の九州征伐の緒戦(豊臣勢大敗)
→戸次川の戦い(1587)(へつぎがわ)
京都を舞台に11年間/「西陣織」の語源/山名宗全と細川勝元/室町幕府が衰退、以後戦国時代へ
→応仁の乱(1467-147)
天目山の戦い(1582)/姉川の戦い(1570)/長篠の戦い(1575)/桶狭間の戦い(1560)
→織田信長 (甲州征伐の天目山の戦いで武田勝頼戦死により武田氏滅亡)
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[城]
「日本100名城」の一つ/本丸の跡地は護國神社/別名は「青葉城」/築城主は伊達政宗
→仙台城
「日本100名城」の一つ/通称は「霞ヶ城」/築城主は柴田勝豊/現存最古とされる天守閣  
→丸岡城(福井県坂井市)
「日本100名城」の一つ/別名は「烏城」/宇喜多氏が本拠とする/隣接する大名庭園は後楽園
→岡山城(烏城,うじょう)(松本城=烏城,からすじょう)
池田輝政が大改築/世界遺産/別名は「白鷺城」/現在の兵庫県にある名城
→姫路城
現在の岐阜県大垣市に建設/木下藤吉郎が築城/蜂須賀小六が協力/「一夜城」の伝説
→墨俣城
現在の長野県にあった城/1867年に築城/JR小海線の駅名/星型の五稜郭
→龍岡城(長野県佐久市)
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[寺]
天台宗の寺/豊臣秀吉が大仏殿を再建/「国家安康」「君臣豊楽」/大阪の陣の契機
→方広寺
東京都文京区/無量山寿経寺として創建/徳川秀忠の長女千姫の墓/徳川家康の生母お大の墓(於大の方)
→伝通院
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[武器]
有名な刀/以前の名前は「千鳥」/大友氏の猛将・立花道雪/雷神を斬った伝説
→雷切
福島正則が秀吉から拝領/呑み比べで母里太兵衛の所有に/槍の名前/民謡『黒田節』
→日本号
戦国時代の兵器/澤瀉(おもだか)/十文字/笹穂
→槍
剣の流派/開祖は東郷重位/一の太刀を疑わず/薩摩藩
→示現流
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[その他]
簗田政綱/服部小平太/毛利新助/桶狭間の戦い
→今川義元の最期(簗田政綱(やなだまさつな)=今川軍の位置を信長に知らせた)(服部小兵太=義元に一番槍を刺した兵)(毛利新助=義元の首を獲った兵)
殺してしまえ/鳴かせてみよう/鳴くまでまとう/信長・秀吉・家康
→ほととぎす
施薬院全宗(医師)/大村由己(学者)/狩野永徳(画家)/曽呂利新左衛門(落語家)
→豊臣秀吉 (大村由己(おおむらゆうこ)秀吉の伝記『天正記』)(施薬院全宗(せやくいんぜんそう))
宣徳通宝/洪武通宝/びた銭/永楽通宝
→室町時代に流通
伊東マンショ/千々石ミゲル/中浦ジュリアン/原マルチノ
→天正遣欧使節
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[意味まとめ]
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  1. 2014/05/03(土) 12:26:14|
  2. 戦国時代検定
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戦国時代検定 四択

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1546年の河越城の戦いで北条氏康の奇襲攻撃を受け戦死した、扇谷上杉氏の最後の当主は誰?
→上杉朝定(うえすぎともさだ)
1549年、日本へキリスト教を伝えたイエズス会の宣教師・ザビエルが最初に上陸したのは現在の何県?
→鹿児島県
1550年に勃発した、豊後国の戦国大名・大友氏のお家騒動の通称は「”何”崩れ」?
→二階崩れの変(1550)
1551年に家臣の陶晴賢にクーデターを起こされて、大寧寺で自害に追い込まれた大内氏の武将は?
→大内義隆
1556年に起こった美濃国の戦国武将・斎藤道三とその嫡子・義龍の戦いといえば?
→長良川の戦い(岐阜県の長良川)(斎藤義龍(よしたつ))
1560年の「桶狭間の戦い」で織田信長が約10分の1の兵力で破った戦国大名は?
→今川義元
1560年の桶狭間の戦いで敵将・今川義元の首を取りその名をあげた武将は?
→毛利良勝(もうりよしかつ)
1570年、信長・家康の連合軍が浅井長政・朝倉義景の連合軍を破った戦いといえば?
→姉川の戦い
1573年に織田信長が敵対する朝倉義景を滅ぼした戦いを何という?
→刀禰坂の戦い(刀根坂(とねざか))(分岐あるが不明)
1582年に派遣された天正遣欧少年使節で、豊後の戦国大名大友宗麟の名代を務めたのは?
→伊東マンショ (伊東マンショ(主席正使),千々石ミゲル(正使),中浦ジュリアン(副使),原マルティノ(副使))
1582年の本能寺の変の際に安土城にいた信長の妻子を居城である日野城で保護したキリシタン大名は?
→蒲生氏郷(レオン)(日野城(中野城)=滋賀県)
1586年の岩屋城の合戦で島津方の大軍を前に散った大友氏の重臣だった武将は?
→高橋紹運(たかはしじょううん)(岩屋城の戦い(1586)(福岡県太宰府市)=九州制覇を目指す薩摩の島津氏が、大友氏の家臣・高橋紹運が籠る岩屋城を落とした戦い)
1595年に療養先の十津川で変死を遂げたと言われている豊臣秀吉の弟・豊臣秀長の養子は?
→豊臣秀保(とよとみひでやす)(大和国の領主にして官位が中納言であったため大和中納言と通称された)
1600年に「関ヶ原の戦い」が起きた場所は、現在の何県?
→岐阜県
1600年の関ヶ原の戦いで西軍の石田三成を捕らえた東軍の武将は?
→田中吉政(たなかよしまさ)
1600年に上杉景勝軍と最上義光・伊達政宗連合軍の間で行われた合戦で、「東北の関ヶ原」ともいわれるのは?
→長谷堂城の戦い(山形県山形市長谷堂)
1950年から1967年まで東京新聞などに連載されたある戦国武将を主人公とする作家・山岡荘八の代表作は?
→『徳川家康』
1979年に公開された映画『戦国自衛隊』で戦国時代にタイムスリップした自衛隊が手を結ぶ武将は?
→長尾景虎
「洞の乱」とも呼ばれる稙宗、晴宗の親子が対立し伊達家を二分した争いといえば?
→天文の乱(てんぶんのらん)(洞の乱(うつろのらん))(1542-1548)(伊達稙宗(だてたねむね))(伊達晴宗(だてはるむね))
「大坂の陣」で、炎の中から徳川家康の孫娘・千姫を救い出したとされる戦国武将は?
→坂崎直盛(さかざきなおもり)(千姫=豊臣秀頼・本多忠刻(ただとき)の正室。父は徳川秀忠。号は天樹院)
「大津宰相」と呼ばれた京極高次が、保身のため豊臣秀吉に差し出したとされる美女の誉れ高い妹といえば?
→松の丸殿(=京極竜子(きょうごくたつこ)=秀吉の死後は出家して寿芳院(じゅほういん))
「岡崎三郎」とも呼ばれた徳川家康の父は?  
→松平広忠(まつだいらひろただ)
「三本の矢」の教訓で有名な中国地方の戦国武将は?
→毛利元就
「築山殿」とも呼ばれた今川義元の姪にあたる徳川家康の正室の名前は?
→せな(通称は瀬名)(築山殿(つきやまどの))
「捨ててだにこの世のほかはなき物をいづくかついのすみかなりけん」といえばどんな武将の辞世の句?
→斎藤道三(「捨ててだに この世のほかは なきものを いづくか終(つい)の 住み家なりけん」)
「大ていは地に任せて肌骨好し紅粉を塗らず自ら風流」といえばどんな武将の辞世の句?
→武田信玄 (「大ていは 地に任せて 肌骨(きこつ)好し 紅粉(べにこ)を塗らず 自ら風流」)
わずかの期間しか地位や権力を保てないことを、戦国武将・明智光秀に例えて何という?
→三日天下
明智光秀の娘婿であることから本能寺の変の後、光秀との内通を疑われて殺害された、織田信長の甥は?
→織田信澄(おだのぶすみ)
上杉謙信の養子・景勝が初代の藩主を務めたのは?
→米沢藩 (上杉景勝(うえすぎかげかつ)=豊臣政権の五大老の一人で出羽米沢藩初代藩主)
映画『スター・ウォーズ』のダース・ベイダーのマスクのモデルになったと言われる黒漆五枚胴具足は誰の甲冑?
→伊達政宗
江戸時代に隆盛した剣の流派一刀流の開祖である戦国時代の剣客は○○一刀斎?  
→伊東一刀斎(いとういっとうさい)
多くの武将に仕えた藤堂高虎の名言「武士たるもの何度主君を変えねば武士とは言えぬ」?
→七度
大友宗麟と島津義久の軍が激突した戦いで知られる現在の宮崎県を流れる川は?
→耳川
織田信長が明智光秀に討たれた「本能寺の変」が起こったのは現在の都道府県でいうとどこ?
→京都府
織田信長に擁立されて1568年に上洛し、室町幕府の第15代将軍に就任するも後に追放されたのは?
→足利義昭(15:1568-1588)
織田信長の最期の地として知られる京都のお寺は?
→本能寺
織田信長の長男・信雄、次男・信忠の生母である信長の側室は?
→吉乃 (生駒吉乃(いこまきつの)=織田信長の側室)
織田信長の性格を詠んだ「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」という句が登場する江戸時代の随筆集は?
→『甲子夜話』(かっしやわ)(織田信長,豊臣秀吉,徳川家康の3人収録されている)
加藤清正と豊臣秀吉の出生地である尾張の村は?
→中村 (名古屋市中村区)
角館城主で、わずか13歳で家督を相続し「夜叉九郎」と恐れられた戦国武将は?
→戸沢盛安(とざわもりやす)(夜叉九郎,やしゃくろう)(角館=秋田県仙北市)
京都福知山市にある福知山城の初代城主だった戦国武将は?
→明智光秀
下剋上の典型とされる戦国大名・松永久秀の最期はどんな死に方だった?
→爆死
四国統一で知られる長宗我部元親はもともとどこの大名?
→土佐
出家以後は「芳春院」と号した戦国武将・前田利家の妻は?
→まつ
将軍・徳川秀忠の娘・千姫の最初の夫となった大名は?
→豊臣秀頼 (本多忠刻(ただとき)は2番目)
関ヶ原の戦いと同じ年に東インド会社を設立した国は?
→イギリス
戦国時代に暗躍したという盗賊団の頭領・石川五右衛門が1594年に処刑されたのは京都のどこ?
→三条河原
戦国時代に各地でその信徒たちが一揆を起こした「一向宗」とは何宗の別名?
→浄土真宗
戦国時代に能登畠山氏を支配し「畠山七人衆」と呼ばれた武将の中で、筆頭格だった人物は誰?
→温井総貞(ぬくいふささだ)
戦国時代の天才軍師とうたわれた竹中半兵衛が、1564年に16名の部下と共に占拠した斎藤龍興の居城は?
→稲葉山城
戦国時代の武将・今川義元の正室である定恵院の実の弟に当たる武将は?
→武田信玄 (定恵院(じょうけいいん)=甲斐国の戦国大名・武田信虎の長女。今川義元の正室。武田信玄の姉)
戦国時代の武将・上杉謙信が上杉氏の家督を譲られるまで名乗っていた苗字は?
→長尾
戦国時代の武将・上杉謙信が自らがその生まれ変わりであると信じた神は?
→毘沙門天
戦国武将・太田道灌の故事に登場する「七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき」という歌の作者は?
→兼明親王(かねあきらしんのう)(『後拾遺和歌集』)
戦国武将・織田信長の父の名前は?
→信秀 (織田信秀(おだのぶひで))
戦国武将・織田信長の弟で武将ではなく茶人として活躍し、有楽斎という号を持ったことで知られるのは?
→織田長益(おだながます)
戦国武将・蒲生氏郷に嫁いだ織田信長の次女は?
→冬姫
戦国武将・直江兼続が用いた兜の前立にあしらわれていた漢字といえば?
→愛
戦国武将・森蘭丸の弟で美作国津山藩の初代藩主となったのは誰?
→森忠政(もりただまさ)(岡山県津山市)
俗に「戦国時代の三大夜戦」の一つに数えられる北条氏康の軍が武蔵で繰り広げた戦いといえば?
→河越城の戦い(1546)(埼玉県川越市)(日本三大奇襲=河越城の戦い(1546),厳島の戦い(1555),桶狭間の戦い(1560))
武田軍の軍師・山本勘助が川中島の戦いでとったとされている戦法は?
→きつつき戦法
長光寺城で籠城戦を行っていたときに、自ら水瓶を割って背水の陣で臨んだ逸話で知られる戦国武将は?
→柴田勝家
次のうち、織田信長の異称として知られるものは?
→第六天魔王
次のうち、四国を本拠にしていた戦国大名はどれ?
→三好氏 (徳島県三好市)
次の戦国大名のうちキリシタン大名なのは?
→有馬晴信(ドン・プロタジオ)(肥前)
次の武将のうち関ヶ原の戦いで西軍から東軍へ寝返ったのは?
→小早川秀秋
東京都にある小笠原諸島を発見し、その名前の由来となったとされる、安土桃山時代の武将は?(四択)
→小笠原貞頼(おがさわらさだより)
特に豊臣秀吉の正妻を指すものである、摂政や関白の妻に対する敬称といえば?
→北の政所
徳川家康が関東入国と共に置いた甲州口の警備を任務とする役職を何という?
→八王子千人同心
徳川家康の後を継いで江戸幕府の第2代将軍になった武将は?
→徳川秀忠(2:1605-1623)
豊臣秀吉が行った太閤検地において定められた年貢率を表す言葉は?
→二公一民
日本が戦国時代だった頃に中国を支配していた王朝は?
→明(1368-1644)
能登国の七尾城を攻め落とした際に上杉謙信が詠んだとされる「霜は軍営に満ちて秋気清し」で始まる漢詩の題名は?
→『九月十三夜陣中作』(くがつじゅうさんやじんちゅうさく)
漫画『仮面の忍者赤影』で主人公・赤影を従わせている戦国武将は?
→豊臣秀吉
室町時代の1467年に応仁の乱が始まった時の将軍は?
→足利義政(8:1449-1473)
室町幕府の将軍の中で唯一京都に入ることができなかった人物は?
→足利義栄(あしかがよしひで)(14:1568-1568)
山本勘助が戦死した4度目の川中島の戦いで勘助が信玄に提案した戦法は?
→啄木鳥戦法
若き日の豊臣秀吉が織田信長のために懐に入れて温めたという逸話があるものは?
→草履

1600年の「関ヶ原の戦い」で東軍の総大将を務めた武将は?ですが、
→徳川家康
1600年の「関ヶ原の戦い」で西軍の総大将を務めた武将は?
→毛利輝元
将軍・徳川秀忠の娘・千姫の最初の夫となった大名は?ですが、
→豊臣秀頼
将軍・徳川秀忠の娘・千姫の2番目の夫となった大名は?
→本多忠刻(ほんだただとき)
戦国武将・柴田勝家の正室は?ですが、
→お市の方(浅井長政、後に柴田勝家の妻)
戦国武将・結城秀康を生んだ徳川家康の側室は?
→お万の方(長勝院)(結城秀康(ゆうきひでやす))
戦国武将・織田信長が亡くなった場所は?
→本能寺
戦国武将・豊臣秀吉が亡くなった場所は?
→伏見城
戦国武将・徳川家康が亡くなった場所は?
→駿府城
戦国武将・上杉謙信が亡くなった場所は?
→春日山城(新潟県上越市)
戦国武将・織田信長の息子・信忠が死んだ場所は?(大意)
→二条御所(二条城=京都市中京区)(織田信忠)
津本陽の歴史小説『下天は夢か』の主人公は?ですが、
→織田信長
津本陽の歴史小説『夢のまた夢』の主人公は?
→豊臣秀吉
津本陽の歴史小説『乱世、夢幻の如し』の主人公は?
→松永久秀
津本陽の歴史小説『椿と花水木』の主人公は?
→ジョン万次郎

1555年に戦国武将・毛利元就が陶晴賢を破った場所はどこ?(画像)
→厳島神社 (東大寺=永禄の変(1565))
ここに祀られている戦国大名は?(画像)(日光東照宮)
→徳川家康
徳川家康が豊臣家を攻め滅ぼしたのは「大坂“何”の陣」?(画像)
→夏
戦国時代、これを着けて戦ったと言われる戦国武将は?(画像)
→伊達政宗
戦国武将・細川忠興の子孫にあたる元総理大臣は?(画像)
→細川護熙
戦国時代の合戦で使われた陣形で、「雁行」と呼ばれるものはどれ?(画像)
→/字型
戦国時代の合戦で使われた陣形で、「鶴翼」と呼ばれるものはどれ?(画像)
→V字型
戦国時代の合戦で使われた陣形で、「偃月」と呼ばれるものはどれ?(画像)
→Λ字型(偃月(えんげつ))
戦国時代の合戦で使われた陣形で、「衝軛」と呼ばれるものはどれ?(画像)
→二列縦隊(衝軛(こうやく))
戦国時代にこの家紋を用いていたのは何家?(画像)(○の中に十字)
→島津家
次のうち戦国武将・柴田勝家が用いた旗印はどれ?(画像)
→二つ雁金(かりがね)(二羽の雁(がん))
次のうち戦国武将・前田利家が用いた旗印はどれ?(画像)
→梅鉢(うめばち)(円形が五角形に並ぶ)
--------------------
[意味まとめ]
「捨ててだにこの世のほかはなき物をいづくかついのすみかなりけん」といえばどんな武将の辞世の句?
→斎藤道三(「捨ててだに この世のほかは なきものを いづくか終(つい)の 住み家なりけん」)
「大ていは地に任せて肌骨好し紅粉を塗らず自ら風流」といえばどんな武将の辞世の句?
→武田信玄 (「大ていは 地に任せて 肌骨(きこつ)好し 紅粉(べにこ)を塗らず 自ら風流」)
戦国武将・太田道灌の故事に登場する「七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき」という歌の作者は?
→兼明親王(かねあきらしんのう)(『後拾遺和歌集』)
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  1. 2014/05/03(土) 12:25:41|
  2. 戦国時代検定
  3. | トラックバック:6
  4. | コメント:0

戦国時代検定 ○×

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1543年に種子島に漂着し鉄砲を伝えたのはポルトガル人である,○
1573年に三方ヶ原の戦いで徳川家康を破った戦国武将は武田信玄である,○
1582年の山崎の戦いで先鋒を務めたキリシタン大名は高山右近である,○ (高山右近=ドン・ジュスト)(×小西行長=洗礼名アウグスティヌス。文禄・慶長の役の際に加藤清正と先陣を争ったことでも有名)
1582年の清州会議で織田信長の後継者に決まった人物は織田秀信である,○ (信長の長男・織田信忠の息子、織田信長の孫)(×織田信孝=織田信長の三男)
1585年に豊臣秀吉が就任したのは関白である,○
1585年に羽柴秀吉を関白に任じた天皇は正親町天皇である,○ (正親町天皇(106:1557-1586))
1600年に起きた関ヶ原の戦いにおける東軍の総大将は徳川家康である,○
1600年に起きた関ヶ原の戦いにおける西軍の総大将は毛利輝元である,○
1609年に岡本大八事件により死罪となったキリシタン大名は有馬晴信である,○ (徳川家康の側近・本多正純の与力である岡本大八。マードレ・デ・デウス号事件の報復処置の恩賞の虚偽)
「大坂の陣」で先に起こったのは冬の陣である,○ (大坂冬の陣1614,大坂夏の陣1615)
「天下分け目の戦い」といわれる関ヶ原の戦いで勝ったのは東軍である,○
「天空の城」と呼ばれた尼子氏の居城は月山富田城である,○ (月山富田城=島根県安来市)(×新田金山城(にったかなやまじょう)=群馬県太田市))
「独眼竜」と呼ばれる戦国武将・伊達政宗が失明していたのは右目である,○
キリシタン大名の高山右近が追放された国はフィリピンである,○ (×タイ)
明智光秀の家臣・明智左馬助が馬で渡ったという伝説が残っている湖は琵琶湖である,○ (×余呉湖)
上杉謙信が旗印に用いていた漢字といえば信奉していた神・毘沙門の「毘」である,○ (×幼年名乗っていた長尾景虎の「虎」)
越後の虎と呼ばれた上杉謙信の母の名は「虎御前」である,○
江戸城を築城した戦国武将は太田道灌である,○
織田信長から「猿」と呼ばれていた戦国武将・豊臣秀吉はペットとして猿を飼っていた,○
織田信長と正室・濃姫の間に子供はいなかった,○
織田信長の妹・お市の方が柴田勝家と結婚したのは信長の死後である,○
織田信長の正室・濃姫の父である武将は斎藤道三である,○ (×朝倉義景)
小牧長久手の戦いで徳川家康に敗れ出家した武将は滝川一益である,○ (×滝川益重)
坂口安吾の小説『二流の人』に描かれている豊臣秀吉の軍師は黒田官兵衛である,○
関ヶ原の戦い以後に徳川氏に従った大名を外様大名という,○
戦国時代に『日本史』を著したイエズス会の宣教師はルイス・フロイスである,○ (Luis Frois葡=『日本史』)(×ルイス・ソテロ(Luis Sotelo西)=伊達政宗による1613年の慶長遣欧使節で正使を務めた宣教師)
戦国時代の武将で、法名を「総見院殿贈大相国一品泰巌尊儀」というのは織田信長である,○ (そうけんいんでん ぞう だいしょうこく いっぽん たいげんそんぎ)
戦国時代の武将で、法名を「国泰祐松院殿霊山俊龍大居士」というのは豊臣秀吉である,○ (こくたいゆうしょういんでん れいざんしゅんりゅう だいこじ)
戦国時代の幕開けといわれる「応仁の乱」は、最終的に決着がつかなかった,○ (応仁の乱1467-1477)
戦国武将・尼子氏の祖先に当たる婆娑羅大名は佐々木道誉である,○
戦国武将・今川義元の正室・定恵院の弟である武将は武田信玄である,○ (定恵院(じょうけいいん))(×北条氏康)
戦国武将・織田信長の父は織田信秀である,○
戦国武将・武田信玄の本名は武田晴信である,○ (×信虎=信玄の父)
戦国武将・徳川家康は囲碁の家元を保護したことから「囲碁殿堂」入りを果たしている,○
戦国武将・三好長慶が生まれたのは現在の徳島県三好市である,○ (徳島県三好市)(愛知県みよし市)(広島県三次市)
戦国武将・森蘭丸は織田信長と共に本能寺で戦死した,○
伊達政宗の長男・秀宗が初代藩主となった藩は宇和島藩である,○ (伊達秀宗(だてひでむね)=愛媛県宇和島市)(×今治藩=愛媛県今治市)
天下統一を目指した織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の3人は現在でいうところの同じ県の出身である,○
豊臣秀頼の妻・千姫の父親である徳川将軍は徳川秀忠である,○ (×徳川家康)
似た名前の戦国武将・浅野長政と浅井長政のうち豊臣秀吉の五奉行に数えられたのは浅野長政である,○
日本へキリスト教を伝えたザビエルが所属していた修道会・イエズス会は現在も活動している,○
日本初のキリシタン大名は大村純忠である,○ (バルトロメオ=大村純忠)(ドン・プロタジオ=有馬晴信は甥)
原哲夫の漫画『花の慶次』の主人公・前田慶次は実在した戦国武将をモデルにしている,○
毛利元就の献金により即位の礼を行ったのは正親町天皇である,○ (正親町天皇(おおぎまちてんのう)(106:1557-1586))(×後陽成天皇(107:1586-1611))

次のうち、「独眼竜」の異名でおなじみの戦国武将・伊達政宗はどっち?(画像)→伊達政宗 (楠木正成像)
次のうち、戦国武将・加藤清正が「朝鮮の役」の際に退治したとされる動物はどっち?(画像)→トラ
次のうち、困窮した武田信玄に対し、ライバルの上杉謙信が送ったとされるものはどっち?(画像)→塩
次のうち、戦国時代に日本に伝わり、淀殿も愛用したといわれるのはどっち?(画像)→タバコ
次のうち、徳川家の家臣・井伊家の居城だったのはどっち?(画像)→彦根城 (×犬山城)
次のうち、加藤清正が築城した城はどっち?(画像)→熊本城 (×姫路城)
次のうち、安土桃山時代の絵師・狩野永徳の作品はどっち?(画像)→唐獅子図屏風
次のうち、安土桃山時代の絵師・長谷川等伯の作品はどっち?(画像)→松林図屏風
豊臣秀吉が築かせた名護屋城があった県は?(画像タッチ)→佐賀県
松永久秀、最後の地である信貴山城があった都道府県は?(画像タッチ)→奈良県(信貴山,しぎさん)

1587年に豊臣秀吉によりカトリック宣教師が追放された際、南蛮人との貿易も同時に禁止された,×
キリシタン大名の高山右近はマニラに渡ると商売で成功し莫大な財を成した,×
戦国武将・武田信玄の旗印「風林火山」の「山」とは信玄のお膝元・甲斐の富士山のことである,× (疾(と)きこと風の如く,徐かなること林の如し,侵掠すること火の如く,動かざること山の如し,の通称)
武田信玄の息子・勝頼は長篠の戦いにおいて妻と共に自害した,× (自害したのは天目山の戦い(1582))
豊臣秀吉は征夷大将軍に任命されている,×
日本史で言うと10世紀の日本は戦国時代である,×
--------------------
[意味まとめ]
--------------------
  1. 2014/05/03(土) 12:25:10|
  2. 戦国時代検定
  3. | トラックバック:1
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